最新記事

サイエンス

2600年前の脳がそのままの状態で保存されていた ......その理由は?

2020年1月20日(月)18時10分
松岡由希子

なぜヒトの脳組織がこれほど長期にわたって保存されていたのか ...... Dr Axel Petzold

<2008年にイギリスで発掘された2600年前のヒトの頭蓋骨には、脳がそのままの状態で保存されていた。その原因が研究されている ......>

2008年8月に英ヨークシャー州ヘスリントンで発掘された2600年前のヒトの頭蓋骨から、脳組織が見つかった。紀元前673年から482年のものとみられている。

8割を水分が占める脳は、死後、他の器官に比べて自己融解が速く、36時間から72時間以内に分解がはじまって5年から10年以内に頭蓋骨だけになる。それゆえ、なぜヒトの脳組織がこれほど長期にわたって保存されていたのかは謎に包まれていた。

タンパク質が凝集したことが安定性に寄与した

英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)を中心とする国際研究チームは、2600年前の脳組織のタンパク質を分析し、2020年1月8日、英国王立協会の学術雑誌「ジャーナル・オブ・ロイヤル・ソサエティ・インターフェイス」でその研究成果を発表した。

これによると、タンパク質が凝集したことが長期にわたるタンパク質の安定性に寄与し、タンパク質のエピトープ(抗体が認識する抗原の一部分)は、2600年間、自然の外気温にさらされ続けても、高い免疫原性(免疫応答を引き起こす能力)を保持していたという。

繊維状のタンパク質を束ねたような形状をなす細胞骨格「中間径フィラメント(IF)」は、脳を細胞レベルで支持する役割を担い、適切な環境下では、細胞が分子灰になった後も、元のままの状態を保持できる。

研究チームが脳のタンパク質の凝集体から中間径フィラメントを分離し、顕微鏡で検査したところ、この中間径フィラメントは、生きている脳のものと類似した形状で、かつてニューロンの尾部を支えていたことがわかった。

また、このタンパク質の凝集体では、神経細胞の細胞体が存在する「灰白質組織」を識別するタンパク質は少なかった一方、「アストロサイト」など、神経細胞を支えるグリア細胞が不相応に多く確認されている。

比較的温かい温度で結合したタンパク質は、安定した構造となり、安定したタンパク質は、不安定なものに比べて容易に広がらない。研究チームでは、2600年前の脳組織のサンプルと現代の神経組織の標本を遮光空間で1年間保管し、現代の神経組織のタンパク質が分解していく経過を観察し、2600年前の脳組織と比較した。

タンパク質の保存のメカニズムの解明に役立つ

研究チームは、この観察結果をふまえ、2600年前の脳のタンパク質が現代まで保持された理由について「脳の外側から拡散した未知の化合物によって、脳のタンパク質分解酵素『プロテアーゼ』が阻害され、安定した凝集体を形成できたためではないか」と考察している。

この脳の謎はまだ完全に明らかとなっていないものの、タンパク質の保存のメカニズムの解明は、タンパク質バイオマーカーの研究やプロテオーム解析などにも応用できることから、今後の研究にも期待が寄せられている。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

岸田首相、「グローバルサウスと連携」 外遊の成果強

ビジネス

アングル:閑古鳥鳴く香港の商店、観光客減と本土への

ビジネス

アングル:中国減速、高級大手は内製化 岐路に立つイ

ワールド

米、原発燃料で「脱ロシア依存」 国内生産体制整備へ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 3

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが...... 今も厳しい差別、雇用許可制20年目の韓国

  • 4

    こ、この顔は...コートニー・カーダシアンの息子、元…

  • 5

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 6

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 9

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 10

    ウクライナがモスクワの空港で「放火」工作を実行す…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 7

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 10

    メーガン妃の「限定いちごジャム」を贈られた「問題…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中