最新記事

「日本すごい」に異議あり!

ムスリム不在のおもてなし、日本の「ハラールビジネス」

2018年5月16日(水)17時30分
後藤絵美(東京大学准教授)

若者が陥るハラール潔癖症

例えば日本人ムスリムの中には、イスラムの教義の観点からハラールビジネスに反対する人々がいる。第一に「イスラムとは神と人間の一対一の契約であり、両者の間には誰も介在し得ない」という点だ。イスラムとはアラビア語で「神に身を委ねること」、ムスリムとは「神に身を委ねる人」の意味。神の意思に従って生きていけば、現世と来世で報償があるという、神と人との個人的な契約関係がイスラム教の主軸にある。

その点で、誰かが「こうすれば神からご褒美が得られる」と請け合うのはおかしい、というのが全面否定派の主張だ。さらに、「何が許されている(ハラール)のか」「何が禁じられている(ハラーム)のか」という区分は、神のみが決められることで、人間がそれを「認証」しようとするのは神の大権の侵害だという意見や、神の言葉を利用して商売することはコーランで禁じられているという意見もある。

こうした全面否定論とは別に、イスラム研究者など専門家の間で批判されてきたのが、現状の認証基準が「偏狭」という点。「許されたもの」の範囲が狭過ぎるということだ。

例えばイスラム教徒が豚肉を食べない根拠は、コーランの「神があなた方に食べることを禁じたのは、死肉、血、豚肉、神以外の名の下に屠(ほふ)られたものだけ」という聖句だ。ところが現状の認証基準では、「豚肉を食べること」だけでなく、「豚由来の成分の摂取」や「豚由来成分を含む商品と接触した商品」も徹底的に避けるべきとされている。

ここで言う「接触」とは直接的なものだけではない。マレーシアの基準では商品の製造や輸送、陳列の際に、豚成分を含む商品と同じトラックで運んだり、同じ店舗内に置いたりしないなど、空間が一切共有されていないことが認証条件の1つとなっている。

日本ではこうした認証基準を取り入れる形でビジネスが進んでいる。認証基準が厳しいほど、より多くの人が安心して利用できるという考えもあるだろう。その一方で、条件設定を厳しくすると結果的に、人々にとって安心できるものの範囲が必要以上に狭くなるという懸念もある。

人や物、情報の移動がグローバル化するなか、「必要以上に厳しい」認証基準は世界に広がり、近年、その厳格化にはますます拍車が掛かっている。科学技術の進歩とともに商品のDNAレベルまでが問題視されるようになり、ハラールの範囲がさらに狭くなっているからだ。そうしたブームを受けてイスラム教徒の中には、若者を中心に「ハラール潔癖症」と言っていいほど過敏になる人が増えている。

ハラールビジネスは既にグローバル化の流れの中にあり、今さら後戻りするのは難しいだろう。それでも今の認証制度を放置すれば、イスラム教徒同士、さらにはイスラム教徒とそれ以外の人々との間で分断が生まれ、生きづらさを感じる人も増えてしまう。

「おもてなし」の一環として始めたハラールビジネスが、教義的に疑問視されるものだったり、結果的にイスラム教徒自体を苦しめたりするとすれば、こんなに悲しいことはない。

<本誌2018年5月15日号「特集:『日本すごい』に異議あり!」より転載>

20240521issue_cover150.jpg
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2024年5月21日号(5月14日発売)は「インドのヒント」特集。[モディ首相独占取材]矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディの言葉にあり

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 9

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 10

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中