コラム

荒廃するラストベルト、悲惨な過去を乗り越えようとする若者の葛藤、『行き止まりの世界に生まれて』

2020年09月03日(木)18時53分

ビンは中国で生まれ、両親とともにアメリカにわたり、それから間もなく両親が離婚。彼が8歳のときに母親とロックフォードに移り、その後、母親が白人男性と再婚し、弟が生まれる。その父親は、仕事に追われる母親の目が届かないところで、兄弟を虐待していた。そんな生活に耐えられなくなったビンは、19歳のときにシカゴに移り、撮影助手として働きながら、スケートビデオを作りつづける。

そんなビンの体験は、ビデオグラファーとしての彼のスタイルにも影響を及ぼしている。彼は自分のことは語らなかったが、対象となるスケーターから、親や家庭のことなどの話を聞くことに強い関心を示し、スケーターの世界でインタビュアーとして異彩を放つようになる。

つまり、本作の企画が動き出す時点で、ビンはすでにロックフォードを離れていたが、彼が作った短編「Look At Me」(11)が転機となる。これは、スケートのビデオグラファーやフォトグラファーに迫ったドキュメンタリーで、彼らの活動とともに、自分について語る彼らの言葉がコラージュされている。ビン自身はこの短編について以下のように語っている(プレスより引用)。

「『Look At Me』を製作中、僕は、メンタルヘルスや人間関係、子育てのスタイルに何かしら悪影響を与えている、父親の不在や確執、父親からの暴力のパターンに気づきました。次のプロジェクトのテーマはそれにしようと決めました」

それが本作ということになるが、ここまで書いてきたことから、ビンの心理と表現の関係が見えてくる。彼は、遠回りをしながら自分が心の底で求めているものに近づこうとしている。トラウマを抱える彼は、過去を封印する一方で、似た体験をした若者の話に親身になって耳を傾け、彼らに自分を重ねている。「Look At Me」で、スケーターではなく、ビデオグラファーやフォトグラファーに目を向けているのも、彼自身の立場により近いからだろう。

撮影する立場から撮影される立場になり、過去について語り合う

本作は、そうしたことを踏まえてみると、より興味深くなる。主人公は最初からザックとキアーに決まっていたわけではなく、各地のスケーターたちにインタビューし、そのなかから共感を覚えた彼らを選び出した。

ビンは当初は、監督としてふたりを追いかけ、これまでのインタビューよりも深く彼らの体験や内面を掘り下げるつもりだったと思われる。しかし、関係が親密になれば彼らに一方的に自分を重ねるだけでなく、自分についても語らなければならなくなる。そこから相乗効果が生まれ、予期せぬ方向へと彼らの関係を変えていく。

ビンとキアーの繋がりは、父親との関係をめぐる問題だけではない。本作に明確に描かれるわけではないが、中国系であるビンも差別とは無縁ではないため、黒人であるキアーの立場を敏感に感じ取り、その複雑な感情を映し出す。自立しようとするキアーのなかでは、黒人としての生き方を意識するほど亡父が遺した重みのある言葉がよみがえり、父親への想いが大きく変化していく。

一方、ザックがパートナーのニナに暴力を振るうことも、ビンに影響を及ぼす。ビンのなかでは、そんなザックが、母親にも暴力を振るった自分の継父に重なり、子供の頃に父親から暴力を振るわれたザックの心理を何とか理解し、暴力の連鎖を止めようと心を砕く。そして、深く絡み合う3者の関係が、ドキュメンタリーそのものの方向性を変える。過去から目を背けられなくなったビンは、撮影する立場から撮影される立場になり、過去について語り合うこともなかった母親と正面から向き合う。

完成した本作では、作品の出発点はほぼ埋もれて見えなくなり、再構成されたスケートビデオのアーカイブと方向性を変えるドキュメンタリーが滑らかに結びつけられている。主人公たちがそれぞれに過去と向き合い、変化していく姿を浮き彫りにするためには、そんな再構成が必要だったことも納得できる。その変化とはまさにイニシエーションであり、ビンと母親、キアー、ザックとニナの旅の終わりが鮮やかに一点に集約されていくラストには、誰もが深く心を揺さぶられることだろう。

《参照記事》●Oscar-Nominated Minding the Gap Di rector Bing Liu on America's Masculinit y Crisis by E. Alex Jung (vulture.com, Feb. 19, 2018)●BING LIU by get born in chicago (get bornmagazine.com, November 08, 2015)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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