コラム

荒廃するラストベルト、悲惨な過去を乗り越えようとする若者の葛藤、『行き止まりの世界に生まれて』

2020年09月03日(木)18時53分

『行き止まりの世界に生まれて』(C)2018 Minding the Gap LLC. All Rights Reserved.

<ラストベルトにある街で、もがきながら成長する3人の若者を描いた『行き止まりの世界に生まれて』は、ドキュメンタリーの枠を超えたドキュメンタリー>

アメリカの新鋭ビン・リューが、産業が衰退したラストベルトにある街で、もがきながら成長する3人の若者を描いた『行き止まりの世界に生まれて』は、ドキュメンタリーの枠を超えたドキュメンタリーといえる。

主人公は、暴力犯罪が多発し、人口の流出がつづくイリノイ州ロックフォードに暮らすザック、キアー、そして本作の監督であるビンの3人。子供の頃から父親や継父から暴力を振るわれてきた彼らは、スケートボードにのめり込むようになり、スケート仲間が家族になっていた。

そんな彼らは、成長とともにそれぞれに現実を受け入れなければならなくなる。キアーはレストランの皿洗いの仕事につく。父親になったザックは、パートナーであるニナとの関係が悪化し、彼女に暴力を振るうようになる。スケートのビデオグラファーとして活動してきたビンは、ドキュメンタリー作家として新たな一歩を踏み出そうとしている。彼のカメラは、3人の悲惨な過去やそれを乗り越えようとする葛藤を浮き彫りにしていく。

父親の不在や確執、父親からの暴力のトラウマが表現に

本作には、まだあどけなさが残る10代前半から半ばにかけての主人公たちの映像も盛り込まれているので、彼らの長い交流のなかで、ビンのスケートビデオが内面や環境まで掘り下げるドキュメンタリーに発展していったようにも見えるが、実はそんな単純な作品ではない。

本作の前半部には、ビンと他のふたりとの関係や距離を垣間見ることができる場面がある。ビンが「キアーとは長い?」と尋ねると、ザックが「あいつが11歳のときからだ」と答える。3人が一緒に育ってきたのであれば、そんなやりとりにはならないだろう。

確かに3人はロックフォードで育ち、過去の体験にも共通点があるが、昔からグループだったわけではない。スケートビデオのアーカイブを使って、過去が再構成されているという点では、そこにフィクションが混じり込んでいる。純粋なドキュメンタリーではない部分もありながら、それでも圧倒的にドキュメンタリーを感じさせるところに本作の凄さがある。

本作が完成するまでの複雑なプロセスを明確にするためには、ビン・リューの軌跡を知る必要があるだろう。本作に盛り込まれたふたつのエピソードはそのヒントになる。

まず、ビンがかつて入り浸っていたスケートショップのオーナーの回想。他の少年たちは店で親の悪口や悩みを吐き出していたが、ビンは内向的だった。何かに苦しんでいることは傍目にも見て取れたが、何も語ろうとはしなかった。

もうひとつは、ビンの異父弟の回想。詳しくは書かないが、彼の言葉からは、ビンが継父から想像を絶するような虐待を受けていたことを容易に察することができる。ビンはその苦しみを誰にも打ち明けることができなかった。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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