コラム

スキャンダルで問い直されるノーベル文学賞の真の価値

2018年05月09日(水)17時00分

スウェーデン・アカデミーは「理念を持って書かれた傑出した作品を創作した作家」をノーベル文学賞の受賞者に選ぶ。しかし、別の見方をすれば、会員の誰かが死ぬまでメンバーが変わらない18人(スキャンダル前でも実質的には16人)の古株が選ぶ賞なのだ。ノーベル文学賞は、この小さな集団が持つ限られた価値観を反映した賞にすぎない。

こんな閉じた集団に、時代の変化に応じた文学が理解できるだろうか? 毎年新鮮な視点で選択ができるのだろうか? 彼らの評価する「理念」は、私たちにとっても評価できるものなのだろうか?

そんな疑問が浮かんでくる。

ノーベル文学賞を自分の意志で拒否した初めての人物は哲学者で作家のジャン=ポール・サルトルだった。

拒否の理由を説明する1964年のサルトルの公開書状の英訳によると、「作家が取る政治的、社会的、文学的立場は個人的なものであるべき」という信念がその背景にあった。「ノーベル文学賞受賞者」という肩書がついてしまうと、彼個人の言動に「ノーベル文学賞」という組織や権威を巻き込んでしまうことになる。当時彼はベネズエラの革命を支持していたが、受賞者になったら、「ノーベル文学賞受賞者のサルトルがベネズエラの革命を支持している」ということになってしまうのだ。それを彼は嫌った。

サルトルはマルクス主義に傾倒し、初期にはソビエト連邦の擁護者だった。また、後には毛沢東主義者の学生運動も支持した。政治的に極端な発言が多いサルトルを選んだ理由を、当時のスウェーデン・アカデミーは「自由思想の精神と真実の探求に満ちた豊かな発想」と表現した。

それに対し、サルトルは、スウェーデン・アカデミーの評価した「自由思想」の解釈が西洋的なものであり、自分の考えるものとは異なるのではないかと疑問視した。そして、アカデミーの解釈が「ブルジョア的」だと指摘した。

ソ連、中国、ベネズエラのその後を振り返ると、スウェーデン・アカデミーが評価したサルトルの「豊かな発想」に首を傾げたくなるが、「その時代の小さなグループによる評価」と思えば納得もできる。スウェーデン・アカデミーの小さなグループが評価する「理念」が重視される「ノーベル文学賞」には時代を反映した「旬」がある。もともと、何十年経ってもその文学的価値が衰えない作品とその作者を選ぼうとしているわけではない。

ノーベル文学賞は、ある意味「高級ブランド商品」なのだ。

数百万円以上もする高級ブランドのバッグを買う人がいるのは、そのブランドが「非常に高価な高級品」だと知られているからだ。たとえ質が同等かそれ以上であっても、彼らは無名のブランドに同じ価値を見出さないだろう。「ノーベル文学賞」は、人々が重視するからこそブランドの価値が維持されている。

毎年ノーベル文学賞の発表前になると、イギリスのブックメーカーが候補の掛け率を出し、日本のメディアは「今年こそ村上春樹が取るのではないか」と書き立てる。

だが、2018年の受賞作品が来年まで見送られたことで、今年はそれにまつわる狂騒も見送られる。

ゆえに、私たちは1年余裕を持って頭を冷やすことができる。そして、その間に「ノーベル文学賞」の価値を冷静に見直すこともできるというわけだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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