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恩師の評伝 服部龍二『高坂正堯』を読む

2019年8月8日(木)13時50分
戸部良一(防衛大学校名誉教授) ※アステイオン90より転載

高坂の学問については、あらためて私が駄弁を弄するまでもない。彼の理想主義的リアリストとしての国際政治学、日本現代史や文明衰亡史論、そしてそのときどきの充実した時論、いずれについても既に優れた論考が発表されている。たとえば、『高坂正堯著作集』(都市出版、全八巻)各巻の解説がそうだし、歿後二〇年を記念して刊行された五百旗頭真・中西寛編『高坂正堯と戦後日本』(中央公論新社)もそうである。服部も、そうした先行研究を踏まえて高坂の学問を論じている。

ただ、一点だけ、服部の高坂解釈について指摘しておきたいことがある。服部は、高坂を「バランサー」と表現している。現実主義者と理想主義者との、あるいは安全保障をめぐる自民党と社会党とのバランサー、「完全主義者」の極論を排したバランサー、「節度」または「慎慮」あるバランサー、というように。これは服部による高坂論のキーワードの一つでもある。

要は、バランサーという言葉が何を意味するかだが、もしそれが対立する二つのものの仲介や妥協、折衷や釣り合いをとることを意味しているとすれば、それは高坂の意図から離れてしまうだろう。彼は、端的に言えば、対立する両者の「対話」を意図していたと考えられるからである。高坂は、ウィーン会議を論じた「会議はなぜ踊りつづけたか」(『中央公論』一九七一年六月臨時増刊、のち『古典外交の成熟と崩壊』所収)の結論部で、こう述べている。「かつては政治の討論は、それ自体が楽しまれる競技であった。そのとき、人々は他人の雄弁に感心し、それで考えを変えた。しかし、[中略]もし達成されるべき目標が絶対的に必要であり、正しいことならば、それに反対するものは邪悪な人々ということになり、ただ「折伏(しゃくぶく)」だけが必要なことになってしまう。」

一八世紀の精神として高坂が述べている「討論」が、二〇世紀後半にもそのまま成立すると信じていたはずはない。しかし、「討論」あるいは対話によって、相手も、そして自分も意見・判断を変える場合があるべきだと彼は考えたのであろう(大嶽秀夫「最後の戦後派知識人・高坂正堯の吉田茂論」『UP』一九九七年三月)。それは、大嶽の言うように、高坂の論敵に対してだけとられた態度ではない。高坂の「知的に謙虚な態度」は、彼が執筆した論文、評論、時論、どこにでも示されたのである。

高坂は京大を定年退職した後に浜松の新設大学の学長になる予定だった。私は大学院を出たあと高坂と接触する機会が少なかったが、その設置準備を手伝うことになった。彼にどんな思惑があったのか知らないが、恩師と一緒に仕事ができることは素直に嬉しかった。大学組織やカリキュラムを準備するにあたって、さて先生はどんな大学をつくりたいのだろう、と思案した。そうしたおり高坂は、大学は街の真ん中につくる、そしてつねにオープンにする、「お年寄りがいつでも出入りできて、若い人と交流できるようにするんや」と言った。それで、新大学のコンセプトの半分ははっきりした。しかし、高坂は設置準備の中途で亡くなった。一緒に仕事ができる機会はなくなってしまった。

戸部良一(Ryoichi Tobe)
1948年生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得退学、博士(法学)、防衛大学校教授、国際日本文化研究センター教授、帝京大学教授を歴任。主な著書に『失敗の本質』(共著、中公文庫)、『逆説の軍隊』(中公文庫)、『日本陸軍と中国』(ちくま学芸文庫)、『ピース・フィーラー─支那事変和平工作の群像』(論創社)、『自壊の病理─日本陸軍の組織分析』(日本経済新聞出版社)など。

当記事は「アステイオン90」からの転載記事です。
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アステイオン90
 特集「国家の再定義――立憲制130年」
 公益財団法人サントリー文化財団
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