映画界に変革をもたらした『マトリックス』、18年ぶり最新作の「唯一の救い」は
Reappreciating The Matrix
ある意味で、それはウォシャウスキー姉妹の最も良い面が強烈に打ち出された作品だった。そして悲しいかな、シリーズ4作目の『マトリックス レザレクションズ』はその対極に位置する。
ラナが単独で監督したこの作品は、前3作の成功には冷淡で無関心な映画だ。前3作のように誇張され、バレエのように美しく振り付けられたアクション場面はない。ネオを支える新しい仲間は個性のない美化された殺し屋にすぎない。これではマトリックス映画の抜け殻だ。
姉妹のファンがさらに失望するのは純粋な意図──クリエーターが心から、理不尽なまでに望んだからこそ作品が存在するという感覚──の欠如だ。前3作で監督は物語を本気で信じさせることに専念し、隠れた意味や比喩を気にしなかった。
だが『レザレクションズ』では、その創造性は自己認識へと縮小し、観客に身内ネタのジョークを仕掛け、その過程で自滅していく。
ワーナー・ブラザース制作のゲーム『マトリックス』が、実はネオが設計して20年近く前に流行したゲームだという設定で登場したり、青い縁の眼鏡を掛けた「セラピスト」がネオに青い薬を処方したり。ネタ元に気付くのは楽しいが、こうも露骨だと楽しんでいられない。
そう、ウォシャウスキー姉妹の作品なのに、『レザレクションズ』は少しも楽しくない。『マトリックス』前3作も『センス8』も、高揚感があってロマンチックで、やや哲学的でありながら最高に楽しかったのだが。
記憶に残るアクションも迫力なし
第1作では、ネオが初めてスミスに立ち向かおうと決意する場面で、観客はネオの中で何かが変わったことに気付く。第2作『リローデッド』のハイウエーの戦闘シーンでは、モーフィアスとトリニティーがネオなしで戦い、彼ら自身の勇気とネオへの変わらぬ思いを示す。これらのシーンが本当の意味で際立つのは、物語と各キャラクターの理解につながっていたからだ。
ところが『レザレクションズ』には、記憶に残るようなアクション場面がない。カーチェイスもなければ、ホールでの銃撃戦も、スミスに支配された世界でスミスとドラマチックに戦うネオもいない。
これまでの戦いには世界を救うという目的があったが、『レザレクションズ』での戦いはネオにとって迷惑でしかないようだ。すっかり中年になったネオは、銃に手を触れることもない。
ウォシャウスキーの作品を特別なものにする要素を抽出するのは難しくない。斬新で記憶に残る戦闘シーン、真剣な物語を伝える巧妙なコンセプトの発展、記憶に残るキャラクター、そして徹底してクールであること。その全てが『レザレクションズ』には欠けている。唯一の救いは、これを見れば『マトリックス』前3作の素晴らしさを再確認できることだ。
©2021 The Slate Group
THE MATRIX RESURRECTIONS
『マトリックス レザレクションズ』
監督╱ラナ・ウォシャウスキー
主演╱キアヌ・リーブス
キャリー・アン・モス
日本公開中