コラム

『オッペンハイマー』日本配給を見送った老舗大手の問題

2024年03月13日(水)14時30分

まず、「バーベンハイマー」現象の炎上というのは、実は本質的な問題ではありませんでした。にもかかわらず大手の配給会社が「炎上」を怖がって配給を見送った(と見られる)のは、悪しき前例になると思います。そもそも芸術作品には賛否両論はつきものであり、社会は作品の場合は余計にそうです。いちいち「炎上」を気にしていたら、営利企業が芸術活動に参加できなくなります。

サラリーマン経営者には炎上を受け止める権限がないのか、炎上を絶対悪のように扱うメディアが悪いのか、あるいは炎上防止を売り込む危機管理コンサルが悪質なのか、問題は多岐にわたるように思います。そもそも、炎上などという概念は日本だけであり、ビューが膨張してその中にネガティブなものがあるという現象の「以上でも以下でもない」中では、炎上を過剰にタブー視しているという問題もあるように思います。

とにかく、炎上が激しいと会社の評判に関わるだけでなく、興行収入に影響が出るということでは、賛否両論を含む作品の公開は、大手配給会社では難しくなります。そのようなことになると、これは日本の観客の権利が大きく損なわれることになります。先例としてはいけないと思います。

その一方で、これは推測の域を出ませんが、今回のケースでは、結果的に配給におけるアドバンスといわれる固定の配給権料について、大手が断念して、中堅の文芸映画の配給会社に代わることで、値下げ交渉に成功した可能性はあると思います。

多くの日本人が議論を

これは重要なことで、そもそも洋画市場が縮小している中で、購買力にも限界が見える日本市場が、依然として重要視されて高い配給権料を取られていたとしたら、これは問題です。仮に今回、値下げができていたのなら、以降は更に柔軟な価格交渉ができるようにすべきです。

市場が縮小する一方で、賛否両論による興行失敗のリスクが大きいとなれば、とにかく配給権料を下げてもらわなくては公開できません。今回の騒動を、往年の経済大国時代の価格ではなく、現実に見合った配給権料に変えていく契機にできるのであれば、日本の映画業界と映画ファンには朗報と言えるでしょう。

今後、同様の問題が起こったら、どんなに著名監督の作品であって、北米では大ヒットが見込まれていても、日本の場合は市場が特殊なので、配給権料がリーズナブルに抑えられ、中堅の専門配給会社でも手が出せる、そんな慣行になればいいという考え方もあります。その上で、やはりできるだけ早期に公開して、日本の観客の意見が、ハリウッドでの評価が固まる前に影響力を発揮するようになればと思います。

いずれにしても、今回の経緯は残念なものでした。ですが、作品賞受賞作品ということで、日本国内で改めてしっかり話題となり、その上で多くの人が見て、賛否両論の議論が活発に行われるのであれば、それはそれで良いことだと思います。

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プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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