コラム

ルーマニアの裏側......映画『ヨーロッパ新世紀』が映し出す政治文化と民族対立

2023年10月12日(木)17時30分
クリスティアン・ムンジウの新作『ヨーロッパ新世紀』

クリスティアン・ムンジウの新作『ヨーロッパ新世紀』

<ルーマニアのトランシルヴァニアの村を舞台に、言語、民族、政治文化の複雑な絡み合いを描いた作品。原題「R.M.N.」の謎を解き明かしながら、映画はコミュニティの内部と外部、個人と集団、そして過去と現在の間で繰り広げられる葛藤と和解の物語を展開する......>

以前、『エリザのために』(2016)を取り上げたルーマニアの異才クリスティアン・ムンジウの新作『ヨーロッパ新世紀』には、「R.M.N.」という謎めいた原題がつけられている。プレスによれば、これは体内の状態を検査する装置の略称で、日本語ではMRIになる。本作には脳を検査した画像も実際に登場するが、この原題が意味するものはそれだけではないだろう。

謎めいた原題とその意味

ルーマニアのトランシルヴァニアを舞台にした本作には、あるコミュニティを肉体に見立て、その表面からは見えないものをスキャンするような視点が埋め込まれている。そのために重要な役割を果たすのが言語だ。本作では複数の言語が飛び交い、字幕は、ルーマニア語が白、ハンガリー語が黄色、その他の言語(ドイツ語、英語、フランス語)がピンクに色分けされている。

映画の言語とコミュニティ

舞台になる村は、鉱山の閉鎖によって経済的に疲弊している。物語は、出稼ぎ先のドイツで暴力沙汰を起こした粗野な男マティアスが、村に戻ってくるところから始まる。しかし、妻との関係は冷めきり、幼い息子は森でなにか得体の知れないものを目にして口がきけなくなり、牧羊を営む高齢の父親は病気で衰弱していた。悩みが尽きないマティアスは、元恋人のシーラに心の安らぎを求める。

ところが、シーラが経営を任されている地元のパン工場が、スリランカからの外国人労働者を迎え入れたことをきっかけに、よそ者の存在を嫌悪する村人たちとの間に不穏な空気が流れ出す。そんな軋轢はやがて村全体を揺るがす対立へと発展し、シーラとマティアスもそれぞれに難しい選択を迫られていく。村にはルーマニア人の他に、少数派のハンガリー人、さらに少数派のドイツ人が暮らし、クマを保護するフランスのNGOのメンバーが滞在し、スリランカ人がやってくる。そのためドラマでは複数の言語が飛び交う。主人公であるマティアスはドイツ人で、シーラはハンガリー人だ。

村の対立と民族の複雑な関係

村人たちの対立が表面化する後半には、外国人労働者の問題について話し合う集会が開かれる場面がある。そこで村長は、「平和な村で、90年代以降、民族紛争はありません」と語る。ではそれ以前、チャウシェスク独裁の時代はどうだったのか。

『エリザのために』を取り上げたときにも参照した政治学者ジョゼフ・ロスチャイルドの『現代東欧史 多様性への回帰』には、以下のように説明されている。


「それでもチャウシェスクは1980年代末まで清算を免れた。これは、社会を黙らせて個々ばらばらにし、教会の弱さと従順を利用し、労働者と農民、労働者とインテリゲンチア、ルーマニア人と少数民族(おもにハンガリー人とロマ)、軍と警察、国家機構と党機構、これら官僚と自分の一族、その他を相互に、またそれぞれの内部で反目させる、彼の戦術の巧みさのおかげだった」

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

決算に厳しい目、FOMCは無風か=今週の米株式市場

ビジネス

中国工業部門企業利益、1─3月は4.3%増に鈍化 

ビジネス

米地銀リパブリック・ファーストが公的管理下に、同業

ワールド

米石油・ガス掘削リグ稼働数、22年2月以来の低水準
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ」「ゲーム」「へのへのもへじ」

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    走行中なのに運転手を殴打、バスは建物に衝突...衝撃…

  • 7

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 8

    ロシア黒海艦隊「最古の艦艇」がウクライナ軍による…

  • 9

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 9

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 10

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story