コラム

『人間蒸発』でドキュメンタリーの豊かさに魅せられて

2020年07月31日(金)17時15分

ここまで読んだあなたに念を押すが、これは劇映画ではない。大島も佳江も実在する市民だし、露口は露口本人として被写体になっている。今村と撮影スタッフは自分たちの悪辣さを過剰なほどにさらす。テレビドキュメンタリーの現場ではスタッフが映り込むことは厳禁だし、まして自分たちの作為や狙いをさらすなどあり得ない。中立客観で不偏不党。でもこの作品にはそんなバランスなどかけらもない。佳江や大島の個人情報や肖像権は蹂躙され、終盤には大島の過去の愛人が現れる。佳江の最も身近な女性だ。そして虚実を全てひっくり返すあの伝説的なラスト。

観終えて唖然とした。同時にうれしかった。ドキュメンタリーはこれほどに豊かなジャンルなのだ。ならばもう少し続けよう。そう思ってからもう10年が過ぎる。

NingenJohatsu.jpg『人間蒸発』
監督/今村昌平
出演/露口茂、早川佳江


<本誌2020年3月31日号掲載>

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プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

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