コラム

イスラエルとサウジの接近で思い出す、日本大使館のスパイの話

2017年04月25日(火)18時40分

この本のオリジナル英語版が出たころ(1990年)、わたしはサッダーム・フセイン時代のイラクにおり、この本がベストセラーになったことなど知る由もなかった。だが、その後、サウジアラビアに移り、そこで本書がサウジ駐在外交団のあいだで大きな話題になっていたのを知ったのである。

モサドの内情暴露本が外交団で話題になるのは別に珍しいことではあるまい。だが、本書がサウジで話題になったのは、もっと特定のことのせいであった。実はこの本にはモサドがサウジアラビア国内でエージェントをリクルートしていたと書かれていたのである。

さすが、モサド、サウジアラビアにもスパイをもっていたんだ、と感心している場合ではなかった。なぜなら、モサドがスパイをリクルートしたというのは当時のわたしの職場だったからである。念のため、邦訳のその部分を引用してみよう。


私がモサドにいた間にサウジアラビアでおこなわれた勧誘は、日本大使館のある館員におこなわれた一回だけである。それだけだ。(125頁)

また、別のところにでも日本大使館のスパイの話が登場する。


われわれの(サウジアラビア〔引用者註〕)デスクは、ガニトを頭とするヨルダン・デスクのそばにあった。どちらも重要なデスクとはみなされていなかった。当時のモサドがサウジアラビアに持っていた情報源は一つしかなく、それは日本大使館内のある人物だった。あの地域からもたらされるその他の情報は総て、新聞、雑誌その他のメディア、それに8200部隊がおこなう徹底した通信傍受に仰いでいた。(169頁)

ちなみに、本書英語版にはもう1か所、「在テルアビブ」日本大使館への言及があるのだが、なぜか邦訳では出てこない。何か差し障りがあったのだろうか。

最初の引用部分の「館員」は原文では"attaché(アタッシェ)"であり、二番目の引用にある「ある人物」とは"a man"である。したがって、スパイは男性で、しかもアタッシェなので、外交官とはかぎらないことになる(「容疑者」が誰かは知っているんですが、諸事情ゆえ書きません。もちろん、わたしではないです)。

サウジアラビアとイスラエルの関係に変化が訪れている

サウジアラビア・イスラエル間に国交はない。両国国交樹立の条件としてサウジ側は、イスラエルが1967年に占領した地域から撤退すれば、アラブ諸国はイスラエルと国交を結んでもいいというアラブ・イニシアティブを明らかにしている。だが、イスラエルがそれを受け入れる予兆はまったくない。

他方、昨年サウジの退役将軍アンワル・エシュキーがエルサレムを訪問し、イスラエル政府関係者と会談し、イスラエルのメディアのインタビューを受けている。少なくとも彼が逮捕されていないことを考えれば、両国関係は明らかに変化したとみるべきだろう。

現時点でサウジアラビアがイスラエルと国交を結ぶメリットはまったくないが、水面下でやっていたはずの接触が表に出てきたことにはそれなりの意味があるはずだ。

【参考記事】米国がイスラエルの右翼と一体化する日

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:1ドルショップに光と陰、犯罪化回避へ米で

ビジネス

日本製鉄、USスチール買収予定時期を変更 米司法省

ワールド

英外相、ウクライナ訪問 「必要な限り」支援継続を確

ビジネス

米国株式市場=上昇、FOMC消化中 決算・指標を材
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 8

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 9

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 10

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story