アフガニスタン、タリバン「報復しない」は偽り? 地方一家が恐怖を証言
オマル氏は地元で知られた地主で、一族は村内に、壁に囲まれた22部屋の広大な邸宅を構えていた。
オマル氏は州議会副議長として昨年、この地区からタリバンを追放する戦略的な取り組みの先頭に立った。戦闘の中で、タリバン戦闘員とアフガン兵士がそれぞれ複数負傷した。
それまでも、2014年の選挙に当選して以来、オマル氏は暇さえあれば村々をめぐり、米国の支援のもと反政府勢力と戦う軍隊に入るよう若者たちを説得していた、と住民は語る。
州議会議員がタリバンの攻撃目標に......
長年にわたりタリバンの活動拠点だったの温床であったナンガルハール州で、これは危険を伴う行動だった。
過去5年間のうちに、同州の州議会議員3人がそれぞれ別の攻撃により殺害されている。
元州議会議員は、昨年、オマル氏が地元でのアフガン軍の勝利を祝う集会に向かう途中、その車列がタリバン戦闘員の襲撃を受け、2人の犠牲者が出たと明らかにした。
住民によれば、8月13日にタリバンが国内全土で電撃的な攻勢の中でコディ・ケルを奪回したとき、戦闘員がオマル氏を捜索するので屋内に留まるよう命じられたという。
だがタリバン戦闘員が到着したとき、オマル氏の邸宅には数人の使用人以外には誰も残っていなかった。使用人らは退去を命じられた。
爆発音を耳にし、その後の状況を目撃した家族や地元住民へのインタビューによると、自動車やその他価値ある家財は略奪され、数回の爆発が起き、邸宅を囲む壁の一部が崩壊し、いくつもの部屋ががれきと化したという。
オマル氏は、ナンガルハール州の州都ジャララバードで州議会の危機対応会合で、議員らとともにタリバンの侵攻に反撃する方法を議論していたが、すぐに自身が捜索されていることを知った。
2人の親族によれば、オマル氏はその時点でまだ前政権が掌握していた首都カブールに逃れ、今も潜伏中だという。
数日後、ナンガルハール州はタリバンの手中に落ちた。
9月3日、戦闘服に身を包んだタリバン戦闘員たちがジャララバードにあるオマル氏の公邸を強制捜索した、と現場にいた家族2人が証言している。
タリバンはオマル氏の3人の息子、5人のおい、1人の兄弟を拘束し、金製品や現金、自動車、装甲車両、護身用の銃を押収した。親族らはその後全員解放された。
親族の1人は、彼自身を含む親族らがむちで叩かれ、窓のない部屋に放り込まれたと述べた。彼が提供した負傷状況を示す写真には、厚く包帯を巻かれた手足と打撲痕が写っている。
別の親族は、部屋に3日間監禁されて拷問を受けたと話した。ロイターは証言について独自に確認はできていない。この親族は、タリバン支配下のアフガニスタンでは自身にも家族にも未来がないと語った。
オマル氏の妻、子どもたち、4人の兄弟、5人の姉妹とその家族たちは、全員アフガニスタン国内で目立つ行動を控えて暮らしている。
親族によると、オマル氏は現在、髪とひげを伸ばし、タリバンから逃れるため家々を転々とし、国外に逃れる方法を見つけようとしているという。
(Rupam Jain記者、翻訳:エァクレーレン)
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