最新記事

アメリカ

憤るアメリカ白人とその政治化

2017年9月11日(月)12時14分
マルガリータ・エステベス・アベ(シラキュース大学准教授)※アステイオン86より転載

今年4月に米ウィスコンシン州で演説を行ったトランプ大統領 Kevin Lamarque-REUTERS

<トランプ大統領を生み出した米国社会の現状を理解する一助になるものとして『ヒルビリー・エレジー』という無名の著者による本が話題となり邦訳も出たが、実はそれだけではない。同様に話題になったのが、政治学者キャサリン・クレイマーによる『The Politics of Resentment(憤怒の政治)』と、社会学者アーリー・ホックシールドによる『Strangers in Their Own Land(故郷を失った人たち)』。いずれもリベラルな人たち向けに書かれた「共和党を支持する白人労働者層の生態と心理の入門書」だ>

 本稿では、ドナルド・トランプ大統領を生み出した社会的な背景を理解する書として米国内で話題になった最近の二冊の著作を紹介したい。いずれも、トランプの登場そのものについて語られたものではなく、リベラルな人たち向けに書かれた「共和党を支持する白人労働者層の生態と心理の入門書」というべきものである。こういったジャンルの本が存在すること自体がアメリカ政治の直面する党派的分裂の深刻さを浮き彫りにしているといえよう。

『The Politics of Resentment(憤怒の政治)』の著者のキャサリン・クレイマーは、ウィスコンシン州立大学マディソン校の政治学者であるが、もともと彼女自身もウィスコンシン州育ちである。かつては労働運動が盛んで、民主党が優勢だったウィスコンシンは、今や、州知事スティーブ・ウォーカーの激しい労働組合潰しですっかり有名になってしまった。ティーパーティー運動の申し子として、二〇一一年に州知事に就任したウォーカー知事は、過激な反労働組合・反政府主義者であり、二〇一六年の共和党大統領予備選に出馬した野心家でもある。著者が、ウィスコンシンの有権者の変化を理解すべく、共和党支持の多い州内の農村地区や富裕層の多いリゾート地区に足を運び、地元の有権者の声を拾って纏めたのが本書である。クレイマーは「rural consciousness(農村意識)」という概念を使って、有権者の政治観を捉えようとする。過去の大統領選挙では、ウィスコンシンやミシガン州などは民主党が優勢な地域であったが、先の大統領選挙では、ヒラリー・クリントン民主党候補がトランプに敗れ、その背景を知るための良書ということで一気に話題の本となった。


 キャサリン・クレイマー
『憤怒の政治』
 The Politics of Resentment:
 Rural Consciousness in Wisconsin and the Rise of Scott Walker
 by Katherine Cramer
 (University of Chicago Press, Chicago, IL: 2016)

 アーリー・ホックシールドの『Strangers in Their Own Land(故郷を失った人たち)』も類似の試みである。カリフォルニア大学バークレー校の社会学者の著者は、まさにリベラルなカリフォルニア人の典型のような人物であるが、意思疎通が不可能になるほどの党派的な壁の出来たアメリカ政治の現状に危機感を抱き、壁の反対側にいる人たちを理解せんと、南部のルイジアナ州をその舞台に選ぶ。最も貧しい州の一つであるルイジアナは環境汚染の酷さも凄まじい。それどころか、住民の多くは、環境汚染の元凶である石油・天然ガス採掘会社の為の減税と規制緩和を推進する共和党を支持している。生活を壊され、それでも日々を力強く生きて行く健気な人たちと、それを食い物にする大企業と政治家の話は、読むだけで胸が苦しくなるような本である。ホックシールドは本書を通して、ルイジアナの共和党支持者らがどう自分たちの生活・政治を認識しているか、その「深層の物語(Deep Story)」を描き出そうとする。


 アーリー・ホックシールド
『故郷を失った人たち』
 Strangers in Their Own Land:
 Anger and Mourning on the American Right, A Journey to the Heart of Our Political Divide
 by Arlie Russell Hochschild
 (The New Press, New York, NY: 2016)

 どちらも、トランプ大統領誕生を見越して書かれた訳ではなく、二〇〇九年に発生し、二〇一〇年の中間選挙で大きな影響力を持つに至った草の根の反政府主義運動であるティーパーティー運動の支持者らの心理・思考について書かれている。所得分布の上位一%への富の集中が話題になっている米国で、なぜここまで多くの一般のアメリカ人たちが、富裕層と大企業の為の減税と規制緩和を推進する共和党を支持するのか、という謎に答えようとしている点では、新しいジャンルというより、二〇〇四年に大きな話題を呼んだトーマス・フランクの『What's the Matter with Kansas? : How Conservatives Won the Heart of America』と系統を同じくする。フランクは、中絶反対といった規範的な争点の重みが増したことで、白人労働者らの票が、彼らの経済的な利益に叶っている民主党から、そうでない共和党へとシフトしたのではないか、と論じた。当時のブッシュ共和党が宗教的な動員を利用していたのは明らかであり、政治学者の間では、投票行動を規定するのは、規範的な価値なのか経済的利益なのかという論争になった。アメリカ政治の全体像を踏まえて、謎の解明をしようとしたフランクと対照的に、クレイマーとホックシールドの著作は、いかに白人労働者層にリベラル・エリート嫌いが蔓延しているのかについての有権者らの「生の声」の記録である。クレイマーとホックシールドは、経済的な利益計算と規範的な判断が、決してきれいに二分化している訳ではなく、政治観が、事実と情報操作や偏見が混ざり合いの中で決まって行くこと、規範というのは宗教的なことだけではなく、良い仕事や行政サービスを得るに市民としての正当な権利があるのは誰かといったことまで含むことを明らかにしてくれる。実際の有権者らが自らの言葉で語る政治観を詳しく紹介しており、社会科学的な想像力を助けてくれる本だといえる。

【参考記事】トランプに熱狂する白人労働階級「ヒルビリー」の真実

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英労働市場、歴史的基準で依然タイト=中銀ピル氏

ビジネス

英賃金、1─3月は予想上回る6.0%上昇 割れる市

ビジネス

英ボーダフォン、通期中核利益2%増 ドイツ事業好調

ビジネス

楽天Gの1─3月期、純損失423億円 携帯事業の赤
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 5

    年金だけに頼ると貧困ライン未満の生活に...進む少子…

  • 6

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 7

    アメリカからの武器援助を勘定に入れていない?プー…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    「人の臓器を揚げて食らう」人肉食受刑者らによる最…

  • 10

    ブラッドレー歩兵戦闘車、ロシアT80戦車を撃ち抜く「…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中