コラム

かろうじて均衡を保っていた家族の実態が暴き出される、『落下の解剖学』

2024年02月21日(水)19時35分
『落下の解剖学』

カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた『落下の解剖学』

<ジュスティーヌ・トリエ監督作『落下の解剖学』では、孤立した山荘での事件が家族の複雑な絆と秘密を浮き彫りにする。脚本はトリエとアラリの手により、事実と虚構の曖昧さを掘り下げ、若きダニエルの視点から親子関係の新たな理解を模索する......>

カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』では、事件と裁判を通して、かろうじて均衡を保っていたような家族の実態が徹底的に暴き出されていく。

 
 

舞台は、フランスの人里離れた雪山にぽつんと建つ山荘。そこに暮らすのは、教師をしながら作家を目指すフランス人のサミュエルとドイツ人の妻でベストセラー作家のサンドラ、交通事故のせいで視覚に障害がある11歳の息子ダニエルと愛犬スヌープ。そんな家族に悲劇が起こる。

犬の散歩から戻ったダニエルが、山荘の前に横たわる父親に気づき、息子の叫び声を聞いたサンドラが駆けつけるが、サミュエルは頭から血を流し、すでに息絶えていた。直前に屋根裏部屋のリフォームをしていたサミュエルに何が起こり、転落したのか。

検視の結果、死因は事故または第三者の殴打による頭部の外傷だと報告される。その後の捜査で、事件の前日に夫婦が激しく争っていたことを明らかにする音声録音が見つかり、検察はサンドラを起訴する決定を下す。サンドラと旧知の弁護士ヴァンサンは「自殺」を主張するが、法廷では夫婦の秘密や嘘が次々に暴露されていく。

家族の秘密を描く共同脚本の舞台裏

本作でまず注目すべきなのは、監督のトリエと、彼女の夫で監督としても活躍するアルチュール・アラリが共同で手がけた脚本だろう。プレスのインタビューでトリエは、脚本作りについて、「アルチュール・アラリと私で執筆作業を分担し」、共同で仕上げたと語っている。

それがどんな分担だったのかは、定かではないが、監督としての彼らの過去作を振り返ってみれば、ある程度、想像がつく。トリエが主にサンドラの人物像を、アラリがダニエルの人物像を作り上げている。

サンドラと、トリエの前作『愛欲のセラピー』(2019)の主人公シビルには明らかな共通点がある。10年前に作家から精神科医に転身したシビルは、再び執筆に専念する決断をするが、患者のひとりである女優のマルゴが、担当医が変わることを拒んだため、仕方なくカウンセリングを継続する。

ところが、仕事と恋愛をめぐって深刻な状況にあるマルゴの話を聞くうちに、彼女にのめり込み、話を録音し、自分が執筆している小説にそれを盛り込むようになる。事実と虚構の境界は崩れ出し、シビルは最後に、人生はフィクションで、自分しだいで好きなように書き換えられると語る。

事実と虚構の狭間で揺れる物語

本作は、サンドラが自宅に訪ねてきた女子学生からインタビューを受ける場面から始まる。そのやりとりからは、サンドラの作風が想像できる。彼女は息子の事故の描写を小説に盛り込み、読者にショックを与えた。読者は彼女の小説について、どこが事実と架空の境目なのかに関心を持っている。

しかし、インタビューは長くは続かない。それを邪魔するように、屋根裏部屋から大音量で音楽が流れてくるからだ。そこで取材は日を改めることになり、学生は山荘を後にし、ダニエルが犬の散歩に出て、しばらくして事件が起こる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米高官、中国と北朝鮮巡り協議 強制送還への懸念表明

ワールド

トランプ氏、石油業界幹部に環境規制破棄を明言 10

ビジネス

英中銀、近いうちに利下げとの自信高まる=ピル氏

ワールド

ロシア軍の侵攻阻止可能、同盟国の武器供給拡大で=ウ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必要な「プライベートジェット三昧」に非難の嵐

  • 2

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 3

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽しく疲れをとる方法

  • 4

    ロシア軍兵舎の不条理大量殺人、士気低下の果ての狂気

  • 5

    上半身裸の女性バックダンサーと「がっつりキス」...…

  • 6

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 9

    「高齢者は粗食にしたほうがよい」は大間違い、肉を…

  • 10

    総選挙大勝、それでも韓国進歩派に走る深い断層線

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 4

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食…

  • 9

    翼が生えた「天使」のような形に、トゲだらけの体表.…

  • 10

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story