コラム

現代美術の巨匠リヒターの人生とドイツ戦後史に新たな光をあてる『ある画家の数奇な運命』

2020年10月01日(木)16時30分

また、ハイデの政策と叔母の死を意識的に結びつけたことはなかったのかという問いには、以下のように答えている。


「絶対にありません。一度もない。そういうことはありませんでした。私のなかに意識的な結びつけなど全然ないんですよ(笑)。でも私がそれを知っていたことは確かです。どこかで読んだことがありますから」

ドイツの戦後史に新たな光をあてる

ドナースマルクは、リヒターが持つイデオロギー嫌悪の側面もクルトに反映し、絵画を通して彼の感性の変化を表現している。

物語は、クルト少年が叔母に連れられてナチス政権が企画した「退廃芸術展」を見に行く場面から始まる。ガイドの男は、世界がこのように見える原因が恐ろしい障害によるものなら、子孫に遺伝するのを阻止しなければと語る。それは叔母の運命を示唆しているが、彼女はクルトに、「感じたままを描く、それが退廃芸術家なのよ」と語る。

東ドイツ時代に、労働者を讃える壁画やゼーバントの肖像を描くクルトは、一方で、エリーのアルバムに収められた古い写真に見入り、「写真の方が僕の絵よりリアルだ。ほとんどの人が自分の写真より絵を好む。写真は真実を写すから」と語る。

真実を求めて西ドイツに渡ったクルトは、伝説の教授に作品を全否定されたどん底の状態から、クロルの写真を突破口に、過去へとさかのぼるように内面を見つめ、スタイルを確立する。そして、周囲の誰もが無作為に選んだ写真をモチーフにしたと思っている作品が、ただひとりの人間の心胆を寒からしめることになる。

本作はリヒターの物語ではないが、ドナースマルクは彼の過去の重要な部分を独自の視点と豊かな想像力で掘り下げることによって、ドイツの戦後史に新たな光をあてている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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