コラム

ウクライナでの「戦争犯罪」に法の裁きは可能か──知っておきたい5つの知識

2022年04月11日(月)17時05分

これに拍車をかけているのは、戦争犯罪やジェノサイドの認定の難しさだ。

ブチャなどでのショッキングな映像やロシア兵による残虐行為の証言は数多くあるが、多くの民間人が殺害されれば、それが全て戦争犯罪やジェノサイドになるわけでもない。「組織ぐるみの計画性」が裏づけられない限り、戦争犯罪やジェノサイドではなく「一部の末端兵員の暴走」や「不幸なアクシデント」と扱われるからだ。

また、「民間人のなかに敵兵が紛れていた(あるいは民間人が敵対行為をしていた)のでやむなく攻撃した」というのも、罪に問われた者の常套文句で、これを否定する根拠がなければ戦争犯罪と呼べなくなる。

つまり、無抵抗の民間人が計画的、組織的に攻撃されたことが明らかにされなければ、同じように人が死んでいても被疑者の法的責任には大きな違いが生まれる。そのため、戦争犯罪などの認定には、誰がいつ何を命令したか、それを受けて誰がどのように実行したかの解明が不可欠になる。

ところが、指揮命令などの記録が入手困難なことも珍しくないため、この部分の立証は難航しやすい。ICCが2003年から2014年までに立件にこぎつけた30件のうち、これまでに有罪が確定したのが6件にとどまった原因の一つは、ここにある。

ロシアに関しても、軍関係者の聞き取りなどがほとんどできないため、その裏づけは容易ではない。アメリカ政府スポークスマンは4月4日、「ブチャなどでの殺戮がロシアによる計画的なものと信じている」と述べているが、「信じる」以上の根拠は現段階ではない。

5.プーチン政権が崩壊すれば逮捕もあり得るが...

それでは、仮に「ロシアによる組織ぐるみの戦争犯罪やジェノサイドがあった」とICCが認定・立件した場合、プーチンやロシア政府幹部は裁かれるのか。

結論的にいえば、それでもハードルは高い。

スーダンのバシールに逮捕状が発行されたように、理論的には国家元首でもICCによる審理の対象となる。しかし、バシールは長く逮捕を免れた。スーダンにいる限りICCが強制的に逮捕することはできないからだ。

そのうえ、ICC非締約国にバシールがきても、その国は彼を逮捕しなければならない義務を負わない。さらに、ICCは(当たり前だが)欠席裁判を行わない。スーダンという小国の大統領ですらそうなのだから、ましてプーチンが法廷に引き出される公算は高くない。

しかし、ここには異論もある。サザンプトン大学のヨルゲンセン教授は「ロシアで体制転換が起これば可能性はある」と指摘する。つまり、プーチンが失脚すればICCの出番はある、というのだ。

その一例としてヨルゲンセンは、セルビアのミロシェビッチ大統領(当時)が選挙不正を理由とする国内の抗議活動で失脚し、その後(ICC発足直前の)2001年に国際臨時法廷に引き出されたことをあげている(公判途中で病没)。ミロシェビッチは1990年代の旧ユーゴスラビア連邦の崩壊にともなう一連の内戦で、異民族に対する無差別殺傷などを指示したと指摘されていた。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

中国EVのNIO、「オンボ」ブランド車発表 テスラ

ビジネス

ユーロ圏住宅ローン市場は「管理可能」、ECBが点検

ワールド

タカ派姿勢にじむブラジル中銀、総裁は3%のインフレ

ワールド

豪4月失業率、4.1%に上昇 利上げ観測後退
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史も「韻」を踏む

  • 3

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 4

    マーク・ザッカーバーグ氏インタビュー「なぜAIを無…

  • 5

    それでもインドは中国に勝てない...国内企業の投資意…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 9

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 10

    奇跡の成長に取り残された、韓国「貧困高齢者」の苦悩

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story