コラム

北斎のような「波」が、政治的暴力を世界に告発する

2017年10月10日(火)19時23分

「子供シリーズ」を手掛ける以前、2001年から2007年までの6年間は、パレスチナ問題をテーマとする風刺画を書いていた。風刺画として国際的にも注目され、絵画展での展示もあり、日本で展示されたこともある。

6年間で書いた風刺画は1000枚近くで、ちょうどヨルダン川西岸でのインティファーダ(反イスラエル闘争)の時期であり、イスラエルによる占領と暴力を告発するものもあった。一方で、パレスチナ側の無力さや指導者たちの腐敗を風刺するものも多かった。例えば、年老いた戦士が「パレスチナ」という道路標識の前で腰まで砂に埋もれて、涙を流しているというような絵である。

kawakami171011-5.jpg

カタナーニの描いた、腰まで砂に埋もれて動けないパレスチナ老戦士の風刺画。道標には「パレスチナ」とある(本人提供)

カタナーニは2004年からは毎週、新しい風刺画を描いて長辺1メートルに拡大し、シャティーラ難民キャンプなどベイルートにある3カ所の難民キャンプで掲示していた。しかし、その風刺を見た、いくつかのパレスチナ政治組織から「絵を描くのをやめろ。さもないと厄介なことになるぞ」と脅しを受けるようになり、それが頻繁になって、2007年に風刺画を描くことはやめた。

その後で始めたのが「子供シリーズ」だ。「パレスチナ社会の腐敗など否定的な面だけでなく、人々の生活そのものに目を向けることで、人々に希望を与え、力を与えるようなものをつくりたいと思った」と語る。つまり、子供たちは有刺鉄線やスレート板で縛られている受け身の存在というだけでなく、その困難な状況でも、遊び、生きようとする存在として、力強さを持っているというメッセージである。

カタナーニがパレスチナ問題を捉える視点が、単にパレスチナ問題の政治的なプロパガンダになっていないのは、風刺画を描くことで政治に対する批判的な視点を持ったことから来ているのだろう。さらに政治からの反発を受けて、より深くパレスチナ問題を捉えようとする問題意識が生まれたと言えよう。

波に竜巻...有刺鉄線は政治的な暴力の象徴

2015年には有刺鉄線で大きな波を形づくる作品を制作して、ドバイで展示した(冒頭の写真)。この年は、100万人を超えるシリア難民やアフガン難民が大挙して地中海を超えて、欧州に渡った。難民の中にはレバノンにいるパレスチナ難民やシリア内戦でシリアを追われたパレスチナ難民も多かった。シャティーラ難民キャンプでも、難民キャンプでの生活に希望を失った若者たちが密航を企てた。

「私の友人も海にのまれて死んだ。海は夏に遊びに行く場所であり、波はロマンチックでもある。しかし、難民たちはその波によって死ぬ。有刺鉄線は海の暴力性を表している」とカタナーニは語る。有刺鉄線は政治的な暴力の象徴であり、難民をのみ込む波が有刺鉄線であることに、難民を生み出す政治の暴力性への告発を読み取ることができる。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ヘッジファンド大手、4月も好成績 株式波乱でボラ活

ワールド

トランプ氏、銃団体の支持獲得 バイデン氏の規制撤廃

ビジネス

日経平均は小幅続落で寄り付く、ハイテク株安い

ワールド

コンゴでクーデター未遂、首謀者殺害・米国人含む50
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 7

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 8

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 9

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 10

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story