コラム

シリア内戦で民間人を殺している「空爆」の非人道性

2016年10月14日(金)18時55分

ISの残酷行為に目を奪われ、現実が見えていない米欧

 シリア内戦に限って言えば、政権軍やロシア軍による激しい空爆がこれまで続いてきた理由の一つは「イスラム国(IS)」の存在だろう。米欧は、ISの残酷行為に目を奪われて、ISさえ排除すれば、シリア内戦の問題が解決するかのような幻想に陥っている。

 ドイツの国際放送「ドイチェ・ヴェレ(DW)」に興味深い記事が掲載された。昨年、100万人の難民が地中海を渡って欧州に押し寄せた。最も多くの難民を受け入れたドイツで昨年10月、人権組織が約900人の難民に対して、難民化した理由について質問した。70%が「アサド政権の攻撃から逃れた」と答えたという。この調査結果を伝えたDWの記事に、調査に関わったドイツ人人権活動家の次のようなコメントがある。

「ドイツでは多くのシリア難民が出ているのはISのせいだというイメージが広がっているが、それとは異なる調査結果が出て驚いている。ISとの戦いを続けても、難民を減らすことにはならないということを示す。ドイツの外交官は念頭に置いておくべきだ」

 この調査から分かるのは、シリアの難民問題を収束させられるかどうかは、市民を無差別に殺戮するアサド政権の空爆をいかに終わらせるかにかかっているということである。シリア内戦が引き起こした現実に直面しているドイツでさえ、「イスラム国」の肥大化したイメージにごまかされ、現実をとらえきれていない。DWが書く「多くのシリア難民が出ているのはISのせいだというイメージ」はドイツ人だけの幻想ではなく、難民問題を引き受けようとしない欧米諸国や日本ではもっと深刻であろう。

 このことは、米欧が重視するISのテロともかかわってくる。米欧でのISのテロの発端となったのは、有志連合の空爆に対する報復として、ISの報道官のアドナニが「民間人、軍人の区別なく、有志連合に参加する国々の国民を、あらゆる可能な手段を使って殺せ」と声明を出したことである。

 その声明の中に、次のような下りがある。

「信仰者たちよ。あなたたちは十字軍の軍隊が市民も戦士も区別せずに、イスラム教徒の土地を空爆している時に、アメリカ人やフランス人、さらに他の有志連合の国民が、この地球を安全に歩くのを放っておいているのか? 彼らは3日前にシリアからイラクに運航するバスを空爆して、9人のイスラム教徒の女性を殺害した。あなたたちはイスラム教徒の女性たちや子供たちが昼夜なく続く十字軍の爆撃機の轟音を恐れて震えている時に、不信仰者どもを家で安全に眠らせておくのか? あなたたちは自分の兄弟を助けることなく、キリスト教徒の胸に恐れを投げ入れることもなく、彼らによる数多くの空爆に対して何かしようとすることもなく、人生を楽しみ、安眠を得ることができるというのだろうか?」

 有志連合によるIS空爆によって600人の民間人が殺害されているというリポートが、中立的な人権組織から出ていることを考えれば、空爆に報復を求めるIS報道官の声明は、IS支持者にはいまなお意味をもっているだろう。ISが自らが支配している民間人の命を尊重しているというつもりは全くないが、逆に、欧米もIS支配下の民間人を軽視しているという点では同列であろう。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英中銀が金利据え置き、総裁「状況は正しい方向」 利

ビジネス

FRB「市場との対話」、専門家は高評価 国民の信頼

ワールド

ロシア戦術核兵器の演習計画、プーチン氏「異例ではな

ワールド

英世論調査、労働党リード拡大 地方選惨敗の与党に3
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必要な「プライベートジェット三昧」に非難の嵐

  • 3

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 4

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 5

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 6

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食…

  • 7

    この夏流行?新型コロナウイルスの変異ウイルス「FLi…

  • 8

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 9

    ロシア軍兵舎の不条理大量殺人、士気低下の果ての狂気

  • 10

    上半身裸の女性バックダンサーと「がっつりキス」...…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 8

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 9

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 10

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story