コラム

『ボヘミアン・ラプソディ』ゾロアスター教とフレディの複雑さ

2019年03月25日(月)16時00分

ゾロアスター教といえば、遺体を鳥に啄ませる「鳥葬」が一般的

もう一つ本作で個人的に興味深かったのは、ゾロアスター教に関わる部分である。今となってはタイトルすら覚えていないのだが、昔、NHKのBSだったかでフレディのドキュメンタリーを見た記憶がある。そのとき、フレディの母が、彼の一族やフレディ自身へのゾロアスター教の影響を語っていたのだが、映画を観ながら、ふとその場面が頭をよぎった。

フレディ自身がけっして敬虔なゾロアスター教徒でなかったことは映画のなかでも触れられているが、彼のこの信仰上のアイデンティティ問題が作品全体の基層低音として通底しているのではないかと、悪い癖だが、中東を生業としているものとしてはどうしても考えたくなる。

ネタばれになるが、映画冒頭で父親との確執が明らかになり、父がゾロアスター教の信仰実践の柱である「三徳」を引き、フレディをたしなめる場面がある。三徳とは「善を思い」、「善を語り」、「善を行う」を意味するが、フレディの行動はそれに反していると父は見ていたのだ。

しかし、最後にフレディは病に侵された体を押してアフリカ難民救済のための「ライブ・エイド」に出演する。映画では、まさにその場面においてフレディは「三徳」を口にするのだ。

なお、この作品ではLGBT問題が重要なテーマにもなっているが、本作の監督をつとめていたブライアン・シンガーが、未成年の男性をレイプした嫌疑などで途中降板させられるというオマケまでついてしまった。ちなみにゾロアスター教でも同性愛はご法度で、(経典上は)極刑に処せられたり、蛇をお尻の穴から入れて、口から出すという刑で罰せられたりするといわれている。

わたし自身は本作ではじめて知ったのだが、フレディの葬儀はゾロアスター教式で執り行われたという。インターネット上の情報だと、彼の遺体は火葬にされ、散骨されたというのが多いが、本来、ゾロアスター教は、拝火教と呼ばれていることからもわかるとおり、火を神聖視する宗教であり、遺体を焼却するのは火を汚すことになるので火葬は禁止されていたはずだ。

かつてゾロアスター教といえば、遺体を鳥に啄ませる「鳥葬」が一般的であり、実際、インドのゾロアスター教徒のあいだでは今でも「ダフマ」と呼ばれる塔を使った鳥葬が行われているという。さすがに英国で鳥葬はできないだろうが、フレディの埋葬場所は今でも謎になっているらしい。

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プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

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