コラム

面白研究に下ネタ 科学の裾野を広げる「イグ・ノーベル賞」の奥深さ

2021年09月28日(火)11時30分
2017年のイグ・ノーベル賞授賞式

2017年に物理学賞を受賞したマーク・アントワン・ファルダン氏と名物の「照明係」(左)。授賞式まで全力で楽しむのが「イグ・ノーベル賞」流(2017年9月14日)  GRETCHEN ERTL-REUTERS

<猫は固体であると同時に液体で、セックスは鼻づまりを解消する? ノーベル賞のパロディ版として30年前に始まり、多くの笑いと問いを提供してきた「イグ・ノーベル賞」の真価を、作家で科学ジャーナリストの茜灯里が解説する>

バケツや金魚鉢などの容器に応じて変幻自在に姿を変える猫は「液体」である──そう言われたら、どう思いますか?

「そのとおりだ」と肯定する人も、「液体」は猫の身体の柔軟性の比喩であることは十分に承知しているでしょう。けれど、フランスの流動学者マーク・アントワン・ファルダン氏による「猫は固体と液体の両方になれるのか?」という論文は、2017年イグ・ノーベル物理学賞を受賞しました。

「イグ(ig)」は英語で否定を意味する接頭詞なので、イグ・ノーベル賞はいわば「裏ノーベル賞」です。この賞は、ノーベル賞のパロディ版として1991年に始まりました。毎年9月に、ノーベル賞の科学3分野(生理学・医学、物理学、化学)や、年ごとに変わる独自分野(心理学賞、科学教育賞など)で受賞者が選出されています。

30年の歴史で、日本人の受賞は27回。今年も「歩きスマホが周囲の歩行者に与える影響」の実験で、京都工芸繊維大学助教の村上久氏らが運動力学賞を受賞しました。

不名誉な賞なのか

有名な賞のパロディ版というと、「米アカデミー賞」に対する「ゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)」がよく知られています。ラジー賞は米アカデミー賞授賞式の前日に「最低の映画」を選んで表彰するものです。

ならば、イグ・ノーベル賞は「最低の研究」に与えられる賞なのでしょうか。賞の創設者で科学ユーモア誌「Annals of Improbable Research」の編集者であるマーク・エイブラハムズ氏は、「最初は笑えるが、その後考えさせる科学研究に贈る賞」と説明します。

実際、「なぜこの研究は笑えるのか」を考えると、身近な疑問を科学で解明する面白さや、疑似科学の危うさなどが浮き彫りになります。受賞者に名誉を与えるだけでなく、一般の人に楽しみながら「科学とは何か」を考えさせる、とても知的な賞なのです。

受賞理由で笑って、真の研究目的に納得する

イグ・ノーベル賞の日本人初受賞は、1992年に資生堂の研究員たちが獲得した医学賞です。受賞理由は「『足の悪臭の原因となる化学物質の解明』。特に『自分の足が臭いと思っている人の足は臭く、思っていない人の足は臭くない』という結論に対して」。

足が臭い人は自覚しているという指摘に、クスッと笑う人は多いでしょう。ですが、この研究はデオドラント(臭いのケア)商品の開発のために、足が臭い人と臭くない人のグループに分けて靴下から化学物質を抽出して、足の悪臭の原因物質「イソ吉草酸」を世界で初めて解明した、という至極真っ当で意義深いリサーチです。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 5

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 8

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 9

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 10

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story