コラム

ノーベル平和賞のヤジディ教徒の女性が、ISISの「性奴隷」にされた地獄の日々

2018年10月13日(土)16時00分

ヤジディはイスラム教ほど厳しい制約はないし、女性が髪や脚を覆う風習もない。けれども、女性は結婚するまでは処女でいることが求められ、男性と2人きりになることはない。この村の若い女性にとって、美しい花嫁衣装を着て結婚するのを夢見るのが唯一の「ロマンス」だ。

そんなヤジディの女性たちが市場で家畜のように売られ、買った男から殴られ、蹴られ、レイプされる。「処女」としての価値を失った後で何度も売買され、集団レイプされるのだ。その精神的な打撃や屈辱は、想像を絶するものだ。レイプされる前に自殺を選んだ女性もいたという。

奴隷としてヤジディの女性を買った男は「結婚」という手続きを取る。だが、これはヤジディをイスラム教に改宗させ、そのうえで「結婚」した男が都合よく売り買いできる「所有物」にするためのものだ。女性に尊厳を与えるための儀式ではない。だから、ムラドと「結婚」した判事は、逃亡しようとしたムラドを罰するために数人の男にレイプさせたあげくに売り払った。

「ISISは、未婚のヤジディの女性にとってイスラム教に改宗して処女を失うのがどれほど絶望的なことかを知っていた。そのうえで、彼らは私たちにとっての最大の恐れを利用した。それは、私たちのコミュニティと宗教指導者たちが私たちをもう受け入れてくれないということだ」とムラドが書くように、ISISの心理操作は計画的なものだった。

ムラドを最初に買った判事は「逃げられるものなら逃げればいい。構わないぞ」とムラドに言った。「家に戻りつくことができても、お前の父親か叔父が殺す。おまえはもう処女じゃないし、イスラム教徒なのだから」と。

イラクには家族の名誉を傷つけるような行為(婚前交渉など)をした女性を家族が殺す「名誉殺人(honor killings)」という風習がある。ヤジディの間では非難される行為だが、ムラドの村でもイスラム教徒の恋人と結婚するために改宗しようとした未婚の女性に家族が石を投げて殺した事件があった。だから、家族を愛し、兄弟を信頼していたムラドですら、家族やコミュニティから再び受け入れてもらえる絶対の自信はなかった。

それでもムラドは逃げることを選んだ。誰かに助けてもらうのを待つのではなく、自分で塀を超え、助けてくれる家族を探して逃げ切った。そして、もう純潔ではないヤジディの女性として自分のコミュニティからも差別的な目で見られることを覚悟で、現在でも拘束されている女性たちを救出してもらうために自分の体験を語ることにしたのだ。

これが、ノーベル賞委員会が評価したムラドの「声をあげる勇気」だ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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