コラム

レニングラード包囲戦の惨状を音楽で世界に伝えたショスタコーヴィチ

2015年11月25日(水)15時10分

 今年9月に発売された『Symphony for the City of the Dead』は、ショスタコーヴィチの交響曲第7番をテーマにして、レニングラード(サンクトペテルブルク)とその市民が辿った悲劇的な歴史を紹介するYAノンフィクションだ。

 YA(ヤングアダルト)とは、主に高校生の読者を対象に書かれたアメリカ独自のジャンルで、映画ヒット作『トワイライト』や『ハンガー・ゲーム』の原作もこのジャンルに属する。アメリカの成人向けの本はページ数が多く、内容も複雑だが、YAでは、ティーンが手にとりやすく読了しやすいように、ページ数も少なめで、使う単語や文章表現もわかりやすく工夫されている。成人読者も多く、人気のジャンルだが、日本のいわゆるライトノベルとは異なる。フィクションでは主人公が読者と同じくティーンに設定されているが、ノンフィクションでは「成人向けの本よりも読みやすい」ところに焦点が絞られている。

『Symphony for the City of the Dead』は、YAノンフィクションらしく写真が多いので、レニングラードの悲劇がひしひしと伝わってくる。ショスタコーヴィチという天才音楽家の人生を通して、複雑なロシアの歴史を学べるのが本書の素晴らしいところだ。ロシア革命への市民の期待と、革命後に政府によって悲劇に追い込まれた多くの知識人や 芸術家のエピソードは、ドライな歴史書を読むよりもずっと胸にこたえる。

 ロシアとドイツの波乱に満ちた関係は、その間にある国々を翻弄してきたが、それだけでなく、ロシアとドイツそれぞれの国民を犠牲にしてきたのだ。特に、政府の歪んだ信念が自国の有能な人々を抑圧し、惨殺してきたのは、日本人の私たちが未来を考えるときに目を背けてはならない歴史だと思う。

 もうひとつ読者にとって興味深いのは、ロシア革命後のアヴァンギャルド芸術だ。裕福な層が愛したクラシックな芸術を否定する未来的な新しい芸術を、社会主義政府はプロパガンダとして活用した。体制に反発する自由さを謳歌するようなモダニズムが、もっとも体制に近い存在となり、やがて内在的に行き詰まり、今度は抑圧の対象になり、崩壊していった経緯は印象的だった。

 ティーン向けにしては重い本だという印象だが、若い時期にこそ読むべき本だとも言える。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 5

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 8

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 9

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 10

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story