最新記事

映画

『ハドソン川の奇跡』 英雄は過ちを犯したのか

2016年9月30日(金)10時00分
ニーナ・バーリー

magc160930-02.jpg

©2016 WARNER BROS. ALL RIGHTS RESERVED

単なる愛国映画を超えて

 巨大都市ニューヨークで、ましてや9・11後のニューヨークでヒーローとして生きるのは生やさしいことではない。サリーがいてつく夜のマンハッタンでジョギングする場面がある。事故と取り調べによる心の傷を振り払うためだ。

 タイムズスクエアのバーでは、ヒーローに気付いたバーテンダーから一杯おごられる。「グレイグース」という鳥の名前が付いたウオツカに、水を注いでシェークする。その名も「サリー」。バードストライクに遭った旅客機を、サリーが川に不時着させたことにちなんだネーミングだ。

 サリーはちっとも愉快でないと思ったが、礼儀正しくグラスを受け取る。ハンクスは、事故のショックから抜け出せない機長の表情の中に、不安と恐怖と優しさの入り交じった感情を見事に表現している。

 調査の過程でサリーが主張したのは、意思決定に与えられた時間の短さを考慮に入れてほしいという点だった。

【参考記事】シリアという地獄のなかの希望:市民救助隊「ホワイト・ヘルメット」の勇気

 コンピューター・シミュレーションでは、エンジンが数分後に止まると初めから分かっているので、トラブルに即座に対処できた。しかし、サリーと副操縦士のジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)は、何の前触れもなく異常事態に放り込まれたのだ。

 その主張を受け、機長が判断を下す時間を35秒遅らせてシミュレーションをやり直したところ、近くの空港にたどり着くのは不可能だったという結論になった。旅客機は人口密集地帯のクイーンズ区や近郊のニュージャージー州のどこかに墜落していても不思議ではない。結局、サリーの責任は問われないことになった。

 ハンクスは本誌のインタビューで、NTSBの官僚たちに敬意を持っているし、彼らの立場は理解できると述べている。「それが彼らの仕事だ。真相究明のための機関なんだから」と、ハンクスは言う。「彼らの名誉のために言うと、すべて正しい行動だった」

 映画の中でハンクスが最も感情を揺さぶられたシーンは、ニューヨークの高層ビルの会議室に集まったスーツ姿の男女が窓の外を見ると、空低く飛ぶ旅客機が接近してくる場面だという。俳優たちは大げさな演技を避け、静かで重たい空気が流れる。「そのとき、彼らの脳裏に何がよぎっただろう」

 イーストウッドは筋金入りの保守派だ。しかし近年手掛けた作品の多くと同様、単純化された愛国映画になりかねない『ハドソン川の奇跡』にも繊細さを織り込んでみせた。

≪映画情報≫
SULLY
『ハドソン川の奇跡』

――――
監督/クリント・イーストウッド
主演/トム・ハンクス
   アーロン・エッカート
日本公開中

[2016年10月 4日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米・イランが間接協議、域内情勢のエスカレーション回

ワールド

ベトナム共産党、国家主席にラム公安相指名 国会議長

ワールド

サウジ皇太子と米大統領補佐官、二国間協定やガザ問題

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 5

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 6

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 7

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 8

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 9

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 10

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 8

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中