最新記事
映画

雪山に墜落し、死者の遺体を食べて生き延びた人々...凄惨な実話を描いた『雪山の絆』の独創的な「ひねり」

Horrors of Survival

2024年2月9日(金)19時45分
サム・アダムズ(スレート誌映画担当)

一つ間違えば失敗しかねなかった独創性

ただし、バヨナら脚本家チームは、死者が非人格的な存在になる危うさを少なくとも認識していたようだ(映画はジャーナリストのパブロ・ビエルチが生還者を取材して書き上げたノンフィクションを下敷きにしている)。

雪を頂いた峰々が連なるアンデス山中に落ちた白い機体は空からの捜索では発見されなかった。救助を求めて粗末な装備で雪山を10日間歩き続けたナンド・パラード(アグスティン・パルデッラ)とロベルト・カネッサ(マティアス・レカルト)はこの集団劇で中心的な役割を果たす。

だが、この映画の独創的な(一つ間違えば失敗しかねない)ひねりは死者の1人を主役級に据えたこと。51年前に実際に起きた話とはいえ、一応「ネタバレ注意」と断った上で言えば、その死者はヌマ・トゥルカッティ(エンツォ・ボグリンチッチ・ロルダン)だ。ヌマはこの物語の語り手で、冒頭から彼のナレーションで物語が進み、エンドロールが流れる30分ほど前に彼が死んでからも、その語りは続く。

ヌマを中心人物に据えることで、バヨナ監督はこの映画を、死者を敗者として扱う「奇跡の生還」物語ではなく、犠牲者たちにささげる哀悼の物語にしようとしたのだろう。

ヌマの存在が際立つのは、仲間の生存者たちが入手可能な唯一の栄養源を利用するという決断を下すときだ。ヌマはその選択に頑強に抵抗する。

自分たちが生き延びるために、亡くなった仲間を「消費」してもいいのか。ヌマだけでなく、誰もがその決断にひるみ、葛藤にさいなまれる。本人の同意があるのなら許される行為かもしれないが、死者の意思は確かめようがない。

彼らはどうやって抵抗感を乗り越えたのか。1つには、「自分が死んだら食べてもいい」と互いに言い合うことだ。

ヌマは禁忌とされるこの行為を死の直前に神聖化する。ヨハネの福音書を引用したメモを残すのだ。「友のために命をささげることほど偉大な愛はない」と。

それまで極限状況に置かれた男たちがモラルと信仰について真摯に議論してきただけに、死んだヌマがあっさりと許しを与える結末はご都合主義的な展開に見えなくもない。

生き残るため、時として必要な行為のおぞましさを観客が直視せずとも済むように、バヨナ監督はこの物語を小ぎれいな寓話に仕立てた。そのためにテーマの掘り下げが中途半端になってしまった感を否めない。

生き残るためには遺体を食べざるを得なかったのだから、その行為は正当化できると言うのは簡単だ。受け入れ難いのは、極限的な状況では人間はモラルなど二の次で生き延びようとするという事実。生存者は重い罪の意識を抱いて生き続けることになる。

©2024 The Slate Group

【20%オフ】GOHHME 電気毛布 掛け敷き兼用【アマゾン タイムセール】

(※画像をクリックしてアマゾンで詳細を見る)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ロシアとの戦争、2カ月以内に重大局面 ウクライナ司

ビジネス

中国CPI、3月は0.3%上昇 3カ月連続プラスで

ワールド

イスラエル、米兵器使用で国際法違反の疑い 米政権が

ワールド

北朝鮮の金総書記、ロケット砲試射視察 今年から配備
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 3

    ウクライナの水上攻撃ドローン「マグラV5」がロシア軍の上陸艇を撃破...夜間攻撃の一部始終

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの…

  • 6

    「未来の女王」ベルギー・エリザベート王女がハーバー…

  • 7

    横から見れば裸...英歌手のメットガラ衣装に「カーテ…

  • 8

    「私は妊娠した」ヤリたいだけの男もたくさんいる「…

  • 9

    礼拝中の牧師を真正面から「銃撃」した男を逮捕...そ…

  • 10

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 5

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 8

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 9

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 10

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 9

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中