コラム

ウクライナ情勢をめぐる中東の悩ましい立ち位置

2022年03月08日(火)18時40分

ポーランドへ逃れる列車に乗るために列を作るウクライナの避難民(西部の都市リビウ、7日) Marko Djunca-RETERS

<ウクライナに国際社会の全面的な支援、同情が向けられていることに、中東のみならず非欧米社会は「ダブル・スタンダード」を見ている>

2月も終わりの頃、レバノンの友人からアラビア語の落書きの写メが送られてきた。「第一次大戦の開戦日1914年7月28日:19+14+7+28=68、第二次大戦の開戦日1939年9月1日:19+39+9+1=68、第三次大戦の開戦日2022年2月24日:20+22+2+24=68」。第三次大戦の開始日、とされたのは、ロシアのウクライナ侵攻の日である。

第三次大戦を想定するほど、ウクライナでの戦争は、中東に深刻な緊迫感をもたらしている。黒海を挟んで北と南にウクライナとトルコが位置していることを見ても、中東が現下の紛争地域に地理的な危機意識を実感していることは、明らかである。

歴史を振り返っても、ロシア/ソ連は常に、中東・イスラーム地域の北片を脅かす存在だった。2014年にロシアに編入されたクリミアは、15世紀にはオスマン帝国に帰属していた。ロシアとオスマン帝国の間では、16世紀から第一次大戦までの間、11回にもわたり戦争が繰り広げられ、オスマン帝国の縮小、弱体化を生んだ。ロシアからソ連に代わって以降は、第二次大戦末期にイラン北部を軍事占領、南部を支配していた英国と一触即発となった。1979年のソ連軍のアフガニスタン軍事侵攻は、冷戦後期において最も東西陣営を緊迫させる事件だった。

しかしながら、ソ連の中東におけるプレゼンスは、70年代後半以降大きく後退していた。社会主義体制を取り、ソ連の軍事援助に依存していたアラブ民族主義諸国のうち、エジプトは70年に入るとソ連の軍事顧問団を追放し、キャンプデービッド合意(1978年)により親米路線に転換した。産油国のイラクは、70年代の石油収入増を背景に西欧先進国との関係を回復し、ソ連からの経済支援に依存する必要がなくなった。

敵の敵は友

冷戦終結後、ロシアが中東で大きな役割を果たすことは、武器輸出や、安保理常任理事国としての発言力への期待を別にすれば、さほど大きくなかった。もっとも、ロシアが冷戦時代のソ連のように常任理事国としてこれらの国々を守ってくれることは、ほとんどなかった。

それが急速にプレゼンスを高めるようになったのは、シリア内戦以降である。ロシアがアサド政権を全面的に支援して、反政府派を支援するトルコとの間でしばしば軍事衝突を繰り返したことは、記憶に新しい。また両国は、リビア内戦でもそれぞれ対立する側を支援して介入してきた。さらにイランも、対米関係が悪化するのに平行して、ロシア、中国への依存度を高めた。

つまるところ、冷戦後の中東では、反米政権がアメリカからの圧力に対抗するためにロシアに接近したに過ぎない。そこにはイデオロギー的な親近感があるわけでも、歴史的な友好関係が築き上げられているわけでもない。「アメリカ」との関係の副産物として、「敵の敵は友」という一時的なものとして、ロシアに対する依存状況が生まれただけである。まあ、冷戦期でも似たような状況ではあったのだが。

とはいえ、こうした中東のロシア依存の国々は、今回のウクライナ危機でも国連総会でのロシア非難決議に反対ないし棄権した。シリアは反対したが、イランが「反対」ではなく「棄権」したのは、核開発交渉を抱えた対米関係を刺激したくなかったからだろう。一方で、イランの意向を強く受けて棄権にまわったイラクでは、親イラン派民兵勢力が「プーチン礼賛」の巨大な看板を掲げたところ、それに反発する若者たちに引きずり降ろされたと報じられている。

しかし、ウクライナ情勢が中東社会にとって悩ましいのは、単に政権が反ロシアか親ロシアかという単純な問題では整理できない、ということだ。なによりも、「ロシア批判」がイコール「ウクライナ支持」にはならない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英中銀が金利据え置き、総裁「正しい方向」 6月利下

ビジネス

FRB「市場との対話」、専門家は高評価 国民の信頼

ワールド

ロシア戦術核兵器の演習計画、プーチン氏「異例ではな

ワールド

英世論調査、労働党リード拡大 地方選惨敗の与党に3
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必要な「プライベートジェット三昧」に非難の嵐

  • 3

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 4

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 5

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 6

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食…

  • 7

    この夏流行?新型コロナウイルスの変異ウイルス「FLi…

  • 8

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 9

    ロシア軍兵舎の不条理大量殺人、士気低下の果ての狂気

  • 10

    上半身裸の女性バックダンサーと「がっつりキス」...…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 8

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 9

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 10

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story