コラム

感染症、原油価格下落と首相不在──イラクを苦しめる三重苦

2020年04月28日(火)11時00分

コロナ危機にあっても、中東の対米関係の問題は未解決のままだ(写真は今月21日の首都バグダッド) Khalid al Mousily-REUTERS

<イラクの政権が安定しないことで、今後の駐留米軍撤退の見通しも不透明に>

新型コロナウイルス、原油価格の下落という二重苦が、中東諸国を直撃している。世界銀行のあるエコノミストは、3月半ば「中東をパーフェクト・ストームが襲っている」と述べた。

4月25日付のジョンズ・ホプキンス大学の統計によると、中東地域での感染者は欧米諸国ほど多くはないものの、トルコが最も多く10万1790人(世界第7位)、次いでイラン8万7026人(8位)となっている。さらにイスラエル(1万4803人)、サウディアラビア(1万3930人)、UAE(8756人)、カタール(7764人)と続くが、全人口との比率でみるとカタールがイランやトルコの倍以上となっており、国の規模の小さい湾岸産油国での深刻さがわかる。

その湾岸産油国に大打撃を与えているのが、原油価格の下落だ。今年初め、1バーレルあたり70ドル弱だったブレント原油価格は2月後半から急落し、4月22日には16ドルを切った。その数日前にはニューヨークで、米WTI原油の先物価格がマイナス40.32ドルにまで大暴落している。4月23日には世界銀行が、2020年の原油価格は昨年から43%減の35ドル/バーレルで推移するとの推計を発表したが、果たして持ち直すかどうか。

その結果、産油国のいずれもが当初予算の数分の1しか収入を得られないことになり、財政支出の大幅縮小を余儀なくされている。むろん産油国の経済悪化は、産油国からの援助や出稼ぎ送金などを収入源としている非産油国の収入減にもつながり、これまでオイルマネーで域内の政治的影響力を行使してきた湾岸産油国のパワーの変化をももたらしかねない。

だが、感染症と経済危機の二重苦ならまだまし、という例は、中東にはいくつも見られる。シリアやイエメン、リビアなど、もともと内戦で疲弊しきっている国だ。これらの国では、検査自体ができていないせいかまだ新型コロナウイルスの被害がはっきりしないが、国家が十分立て直せていない状況での感染症の蔓延は、明らかに深刻な状況を招く。

二重苦に国家体制の崩壊、未整備という3つ目の「苦」を抱えているのは、イラクも同じだ。いまやコロナ騒ぎの陰に隠れた感はあるが、二重苦発生の直前までの中東での最大の爆弾といえば、イランと米国の対立、そしてその舞台として巻き込まれたイラクの政治情勢だった。1月初めにイランの革命防衛隊クドゥス部隊司令官、カーセム・ソライマーニとイラクの民兵組織「カターイブ・ヒズブッラー」の指導者アブー・マフディー・ムハンディスがバグダードで米軍に殺害された事件は、イラン、イラクと湾岸地域全体を巻き込む、大激震を予感させるものだった。

だが、「激震」は、新型コロナウイルスの蔓延を前に、陰に隠れてしまったのだろうか。いや、問題の根は相変わらず未解決のまま、放置されている。特に、イラク人で政治的影響力も大きかったムハンディスが殺害されたことで、イラク政界が一気に反米に傾いたことは、以前のコラムでも指摘した。ここで、改めて1月のソライマーニ殺害事件以降くすぶり続けてきたイラクとアメリカの関係がどう展開してきたのかを振り返ってみよう。

首相不在が続いたイラク

イラクが抱える「苦」のひとつは、なによりも首相不在の状態が長く続いていることだ。昨年秋から始まった反政府抗議活動の激化から、アーディル・アブドゥル・マフディ首相が11月に辞任を表明していたが、後任が決まらず、マフディ首相が暫定として首相役を務めていた。そこに、ソライマーニ殺害という大事件である。

なんとか正式の内閣を立ち上げなければと、2月1日にムハンマド・アッラーウィ元通信相が首相に任命された。ところが、任命されて1カ月のうちに組閣を行わなければならないところ、与党諸派閥の間での調整がつかず、3月1日に首相就任を辞退。ついで任命されたのは、元ナジャフ知事でアメリカと極めて関係の深いアドナン・ズルフィーだったが、イランからの支持が得られず、わずか3週間で辞退した。

ようやく3人目が首相に任命されたのが、4月9日である。諜報部の責任者で、もとは報道オピニオン専門のウェブ誌の編集担当をしていたこともあるインテリ、ムスタファ・カーズィミーに白羽の矢が立った。ムハンマド・アッラーウィは閣僚経験が短く与党各派閥との関係が薄かったこと、ズルフィーはアメリカに近すぎて政界の有力勢力から反発を買ったことに対して、カーズィミーは諜報関係を通じて各勢力とのパイプを持っている、と言われている。4月23日には組閣案を提示したが、これまた与党内の調整がつかず、難航中だ(4月27日現在)。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか

ワールド

北朝鮮の金総書記、核戦力増強を指示 戦術誘導弾の実

ビジネス

アングル:中国の住宅買い換えキャンペーン、中古物件
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 9

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 10

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story