コラム

祝33人救出! でも微妙なチリとボリビアの距離

2010年10月14日(木)12時36分

 33人の作業員が地下700メートルに閉じ込められたチリの鉱山落盤事故が、ついに感動のクライマックスを迎えた。被害者たちの強靭な精神力と、綿密に練られた救出作戦、そして計り知れない幸運が実を結んだ、まさに奇跡の生環劇。救出用カプセルに乗り込む様子までライブ中継するあたりは演出過剰に思えるが、今はそんなことを言うのも憚られるほどのお祝いムードに包まれている。

 もっとも、感動てんこ盛りの報道が一段落すれば、いずれ避難所での人間関係の内幕や彼らが手にする補償金をめぐる騒動といった美しくない話も聞こえてくるのだろう。事故原因の解明や救出作戦の冷静な評価が可能になる頃には、「美談」のいくつかは立ち消えになっているかもしれない。
 
 なかったことにされかねないエピソードの一つが、チリとボリビアの親密な関係だ。33人の中で唯一の外国人が、チリに出稼ぎに来ていたボリビア出身のカルロス・ママーナ。チリ政府はママーナの家族にもチリ人被害者の家族と同じ手厚い保護を与え、現場近くにはチリ国旗と並んでボリビア国旗を掲げる気遣いをみせた。

 ボリビア側もチリの配慮にたびたび謝意を表明しており、救出作業が始まった10月12日にはボリビアのモラレス大統領が現地を訪れ、「ボリビアはチリ人の努力に感謝している」とあらためて語った。

 とはいえ実際には、この2つの国は犬猿の仲で、正式な国交さえない。チリ北部に国境を接するボリビアは、かつて太平洋側の海岸線に領土を保有していたが、19世紀末の南米太平洋戦争でチリに敗れて土地を奪われ、内陸国に。資源豊富な沿岸部を手に入れたチリが経済発展を遂げたのに対して、ボリビアは今も南米の最貧国の一つだ。それだけにボリビア側の恨みは根強く、小学生の子供でさえ、領土紛争の歴史とチリへの怨念を叩き込まれているほど。今も海軍を保有し、「海へのアクセス」を求め続けている。

 ただ、落盤事故の少し前から歩み寄りが始まっていたのは事実だ。今年2月にチリでマグニチュード8・8の大地震が発生すると、ボリビアの外相が被災地入りし、大量の支援物資や寄付金を贈った。関係改善に意欲的なモラレス大統領が、3月に行われたチリのピニェラ大統領就任式に出席したのも画期的だった。

 歩み寄りの背景には、異なる思惑がある。アルゼンチンが自国内の需要に応えるためにチリへの天然ガスの輸出を制限した影響で、チリはボリビアの豊富な天然資源が喉から手が出るほど欲しい。ボリビアも領土問題で妥協を引き出せる好機とみて対話に応じ、この7月には領土問題を含む13項目を話し合う公式な政策協議も行われた。

 落盤事故での共通のカタルシス体験が起爆剤となって、関係改善が一気に進めばベストだろう。だが、ピニェラは領土譲渡に応じる気はないと再三語っており、両国の仲良しムードは救出作戦の高揚感による一時的なものに終わる可能性が高そうだ。。そもそも、南米随一の保守派リーダーで親米のピニェラと、ベネズエラのチャベス大統領と親しい反米・左派の急先鋒、モラレスの蜜月がそう長く続くとも思えない。

 ボリビアの天然ガスを優先的に使える権利の代償として、チリがボリビアに海岸部への自由なアクセスを保障する(領土譲渡はなし)という中間案も取り沙汰されているが、日中、日韓の歴史をみれば明らかなように領土問題は複雑な感情が絡むため、多少の譲歩も政権の命取りになりかねない。沿岸部に輸出入の拠点をもつことでボリビア経済が好転すれば、ママーナのような出稼ぎボリビア人の困窮も少しは救われるのだが。

──編集部・井口景子
このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 4

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 5

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 9

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 10

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 9

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story