コラム

インドの監視管理システム強化は侮れない 日本との関係は......

2020年08月03日(月)17時00分

インドではフェイスブックとWhatsAppがよく利用されており、WhatsAppには2億人を超える利用者がいる(2003年200万人だった利用者が2016年には1.6億人に急増し、2017年時点ではWhatsApp世界最大のマーケットとなった)。当然、総選挙の際のネット世論操作にも利用されている。2018年に行われたカルナータカ州の選挙ではインド人民党(BJP)とインド国民会議(INC)が5万を超えるWhatsAppグループを作り、インド人民党(BJP)が最初の「WhatsApp選挙」であると言ったほどである。

オックスフォード大学Computational Propagandaプロジェクトのレポート(2019年5月13日)によると、インドではSNSが政治ニュースや情報の主な情報源になっている。総選挙期間中、インド人民党からシェアされたコンテンツの25%以上、インド国民会議(INC)からのシェアの20%がジャンクニュースだった。それ以外の政党発信の情報のジャンクニュースの比率はごくわずかだった。陰謀論や過激な論調で対立を激化するようものが多く、フェイクニュースや極論にあふれており、ネット世論操作の状況は過去最悪だったとしている(2016年のアメリカ大統領選を除く)。

ジャーナリストや人権活動家に対して行われたマルウエアキャンペーン

インドでは政権を批判する言動を行うジャーナリストや人権活動家に対してサイバー攻撃が行われている。2020年6月15日、トロント大学のシチズンラボアムネスティはインドの9人の人権活動家、ジャーナリストらがサイバー攻撃のターゲットになっていたことを報告した。

2019年1月から10月にかけてメールからマルウエアNetWireに感染させられていた。ターゲットになった9人のうち3人は以前、Pegasus(イスラエルのサイバー軍需企業NSO Groupが提供しているマルウエア)のターゲットにもなっていた。

サイバー攻撃を行った主体は判明していないが、インドにおいて言論を抑圧する勢力が存在することは確かである。

今回のサイバー攻撃で用いられるマルウエアは「商品」として販売されているものだ。一部のマルウエアは一般に目の触れないアンダーグラウンドあるいはダークウェブではなく、堂々と販売されている。中には顧客を政府や法執行機関に限定している企業もある。表向きはテロ抑止など治安や捜査目的用途を謳っているが、権威主義国で言論抑止に用いられることも少なくない。NetWireとPegasusも企業が提供するマルウエアである。特にPegasusを提供しているNSO Groupはサイバー軍需企業としてよく知られている。どちらの企業も誰でもアクセスできるウェブサイトを持っている。

統一ビジョンの見えないインド太平洋構想

ここまで見てきたようにインドはデジタル権威主義国として、その基盤を固めつつある。そしてその動向は少なからず、日本に影響を与える。

日本は中国の一帯一路に対抗するためにインド太平洋構想を進めている。そこでは民主主義的価値観を標榜している(特に日本版では)。

一帯一路が「超限戦」であるように、インド太平洋構想もまた一種の「超限戦」であり、「戦い」である以上、人の心に響く大義が必要となる。ひらたく言うと中国の大義は、「旧来の宗主国とは違う新しい選択肢の提示と成長の約束」であり、インド太平洋構想(日本版)の大義は「民主主義的価値観と成長」という違いがある。

しかし、大きな問題がある。デジタル権威主義は権威主義の進化形であり、前述の三つの仕組み(監視、世論操作、国民管理システム)は国家を超え、一帯一路参加国全てを網羅する監視網、国民管理網を構築できるようになっている。実際、中国は監視システムを輸出し、社会信用システムを広げようとしている。新しい形のシステムができあがりつつある。

これに対してインド太平洋構想陣営にはネットが社会インフラとなった時代の新しい「民主主義」を構築できている国はない(その気がないのかもしれない)。イメージすら持てていない国がほとんどだ。そのため、「民主主義的価値観」を掲げているのにやっていることは権威主義国と変わらない矛盾を抱えることになる。特に今回ご紹介したインドは前掲のいくつかの記事で「中国式監視国家」と指摘されている。

旧来の価値観やシステムがうまく機能しない以上、それに代わるものが必要となる。それなしに徒党を組んでも方向性が定まらず、足並みは揃わない。掲げている大義とやっていることに矛盾があれば、ネット世論操作などの攻撃のよい標的になる。ましてや新しい「民主主義的価値観」なしにスーパーシティを実現すればインドのAadhaarのようなデジタル権威主義のインフラになる可能性が高い。デジタル権威主義国インドは、近未来日本の可能性ひとつと言えるだろう。

プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ウクライナ侵攻と情報戦』(扶桑社新書)など著作多数。X(旧ツイッター)

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