コラム

東エルサレムの緊張

2014年11月22日(土)19時48分

 同じだ。このヒリヒリした感じが。

 6月、イスラエル青年3人が西岸で行方不明になり、パレスチナ人に誘拐されて殺されたのではと、悪い想像がイスラエルとパレスチナ全域で暗く漂ったのち、青年たちが遺体で発見された。それをきっかけにして、イスラエル軍は堰を切ったようにガザ攻撃を開始し、2か月近く続いた戦闘によって、パレスチナ人2143人、イスラエル人71人が死亡した。

 その、ガザ攻撃が始まる前のような不気味な緊張が、今エルサレムや西岸地域に広がっている。いつ何時、大規模な衝突が始まるか。イスラエルの徹底的な殲滅作戦が始まるのではないか。

 きっかけは、18日、東エルサレムで2人のパレスチナ人がシナゴーグを襲撃し、ユダヤ人5人を殺害したことである。犯人は即刻殺され、犯人たちの家は破壊された。東エルサレムのパレスチナ人居住地域に対する警察の警戒が強化される一方で、憤懣を強めるパレスチナ人の怒りは西岸のベツレヘムにも飛び火し、一触即発の空気が濃厚になる一方だ。おりしもベツレヘムでは、事件の3日前にパレスチナ独立記念と故アラファート議長の追悼のための大規模行進が行われたところである。

 この事件は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖地が隣接するエルサレムで、緊張をはらみながらもお互いに触らないように礼拝、儀礼が続けられてきたのに、最近その現状維持がユダヤ教の宗教右派側から崩されつつあった、そのことを背景としている。10月13日には、数百人ものイスラエル警察がアルアクサー・モスクに乱入し、イスラーム教徒と衝突するという事件が起き、同様の事が西岸全域で頻発していた。そもそも6月末に起きたイスラエル青年誘拐事件の報復で、東エルサレムのパレスチナ人少年が生きながら石油を飲まされて焼き殺されるという事件が起き、その頃から東エルサレムでは緊張が高まったため監視、鎮圧行動が強化されていたのだ。パレスチナ人は、一連の展開がイスラエル政府による東エルサレムの「ユダヤ化」だ、と激しく反発している。

 東エルサレムの問題は、ガザや西岸と状況が少し異なる。これらの地域は1967年にイスラエルに同じように「占領」されたのだが、エルサレム全体のイスラエル帰属を強く希望するイスラエル政府は、東エルサレムだけは返還の可能性を残す「占領」ではなく、「併合」することを決定した。東西エルサレムを統一してイスラエルの首都にする、としたこの時の決定は、1980年にイスラエルの国家基本法に規定されたが、これに対して国連総会は、「併合」は占領地の性格を変えるもので国際法違反だ、と反対している。イスラエル政府はエルサレムを首都とすることを既成事実化しようとして、各国に大使館をテルアビブではなくエルサレムに置くように勧めているが、国際社会は認めていない。アメリカでは、1999年に議会がエルサレムに米大使館を移動させよという決議が採択されたが、現在もなお、エルサレムには領事館を置くだけである。

 このように見れば、イスラエルが東エルサレムでイスラーム教徒、つまりパレスチナ人への圧力を強める背景には、東エルサレムを名実ともに「ユダヤ人」のものとしよう、という意思があることがわかる。イスラエルに併合された東エルサレムのパレスチナ人には、「居住権」が与えられているが、これはいつでもイスラエル内務省によって取り上げられることができるものだ。では西岸・ガザのパレスチナ人と同じような立場に置かれているのかというと、それも違う。イスラエル「国内」の扱いになってしまった東エルサレムから西岸・ガザに行くにはイスラエルの厳しい検問を通り抜けなければならず、同じパレスチナ人でありながら、分断されている。

 そのジレンマに立たされた東エルサレムのパレスチナ人のフラストレーションをよく表した映画が、エリア・スレイマン監督の「D.I.」だ。自身がイスラエルのナザレ出身のパレスチナ人であるスレイマン監督が描くパレスチナ人の世界は、もやもやとした憤懣と鬱屈と閉塞感に満ちている。イスラエルが建国した1948年にそのままイスラエルに取り込まれてしまったナザレの、イスラエル国籍を持つ(持たされた?)パレスチナ人。1967年戦争の際にイスラエルに併合されてしまった東エルサレムの「居住権」しかないパレスチナ人。イスラエルの占領を受けて破壊と侵略に晒されてきた西岸、ガザの、権利を剥奪されてきたパレスチナ人。それぞれが別々のフラストレーションを抱え、彼らの間の連帯感と不信感もまた複雑に絡む。(映画D.I.の解説本「映画『D.I.』でわかるおかしなパレスチナ事情」(愛育社)は、こうしたパレスチナ人社会をよく説明している。)

 ガザでパレスチナ社会を破壊したイスラエルは、次に東エルサレムに刃を向けるのだろうか。自分たちの望む社会を作るために、そこにもともと住んでいた異なる人々を、殺すか追放するか従属を強要するかしか認めない、というやり方は、どこかの「イスラーム国」がやっていることだ。イスラエルのこうした排除政策がやまない限り、「イスラーム国」の行動を批判することは、できないのではないか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

南ア、イスラエルのラファ攻撃停止求める ICJ審理

ビジネス

インフレ率、FRBが望む水準に達せず=米リッチモン

ビジネス

米一戸建て住宅着工件数、4月0.4%減 住宅ローン

ワールド

ゼレンスキー氏、ハリコフ州視察 「極めて困難だが制
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 3

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃のイスラエル」は止まらない

  • 4

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 5

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 6

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 7

    2023年の北半球、過去2000年で最も暑い夏──温暖化が…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    仰向けで微動だにせず...食事にありつきたい「演技派…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story