コラム

北朝鮮とトランプ:「リビア方式」を巡る二重の誤解

2018年05月21日(月)19時30分

また、CVIDに関しては、北朝鮮は強く反対しており、具体的な議論を進めてCVIDが可能だと双方が確認するにはあまりにも時間がなさ過ぎるため、この問題は先送りになる可能性が高いと考えている。

同様にIAEAの査察についても、アメリカはAnytime, Anywhere(いつでもどこでも査察)を求めるだろうが、北朝鮮はそれを認めることは難しい。いくつか留保をつけながら、申請した核施設への一般的な査察は認めるかもしれないが、追加議定書に基づく査察を認めるためには、より詳細な議論を詰めていく必要があり、この点についても、時間が足りないと思われる。

その結果、6月12日の米朝首脳会談では、曖昧で解釈の幅が広い文言をとりあえずの合意とし、その詳細は今後詰めていくということで様々な問題を先送りにしつつも「合意を形成した」という事実と、即座のアメリカによる武力行使はない、ということを獲得することが双方の利益になると思われる。もちろん北朝鮮はその上で制裁解除を求めて来るであろうが、アメリカが段階的な制裁解除を認めないという立場でいる以上、北朝鮮にとっても制裁解除を獲得することは容易ではないだろう。

また、北朝鮮は既に一方的に拘束していたアメリカ人3人を解放し、核実験場の閉鎖を公開すると約束しており、さらには核・ミサイル実験も行わないという成果を交渉前から提供しているので、米朝首脳会談の合意が曖昧であっても、トランプが何らかの成果を誇ることが出来るような状況も作っている。

いずれにしても、このように複雑で技術的な問題は、詳細を詰めるために数ヶ月や数年の時間を必要としており、それが6月12日にすぐに出てくるとは考えにくい。それはイランとの核合意でも同様であったし、リビアのように核兵器を持たず、自ら核開発を断念するという立場をとっていたとしても9ヶ月もかかったのである。

ゆえに、「リビア方式」を巡る二重の誤解が生まれたことは、ある意味双方に利益となっていると結論づけることが出来る。

つまり、ボルトンの誤解のおかげで「核廃棄が先、制裁解除が後」という枠組みが出来たことで、米朝首脳会談で曖昧な合意のうちは制裁解除を進めないという結論が出ればアメリカにとってはプラスとなり、北朝鮮が生み出した誤解によって、合意ができればリビアのような体制転換を行わないという約束を取り付けることが可能になったので、北朝鮮としては曖昧な文言であっても合意を取り付ければ、少なくとも当面は体制が保証される、という手応えを得ることが出来る。

しかし、本質的なところでは、CVIDに基づく非核化のプロセスを始めることは難しく、北朝鮮の核の脅威はずっと残る可能性も高い。そうした状況が続けば、北朝鮮は事実上の核保有国として存在し続けることとなり、日本が直面する脅威は大きく変わらないという状況となる。そんな中で次の手をどう打っていくのかを考えていく必要があるだろう。

プロフィール

鈴木一人

北海道大学公共政策大学院教授。長野県生まれ。英サセックス大学ヨーロッパ研究所博士課程修了。筑波大大学院准教授などを経て2008年、北海道大学公共政策大学院准教授に。2011年から教授。2012年米プリンストン大学客員研究員、2013年から15年には国連安保理イラン制裁専門家パネルの委員を務めた。『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(共編者、日本経済評論社、2012年)『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(編者、岩波書店、2015年)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米高官、中国と北朝鮮巡り協議 強制送還への懸念表明

ワールド

トランプ氏、石油業界幹部に環境規制破棄を明言 10

ビジネス

英中銀、近いうちに利下げとの自信高まる=ピル氏

ワールド

ロシア軍の侵攻阻止可能、同盟国の武器供給拡大で=ウ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必要な「プライベートジェット三昧」に非難の嵐

  • 2

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 3

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽しく疲れをとる方法

  • 4

    ロシア軍兵舎の不条理大量殺人、士気低下の果ての狂気

  • 5

    上半身裸の女性バックダンサーと「がっつりキス」...…

  • 6

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 9

    「高齢者は粗食にしたほうがよい」は大間違い、肉を…

  • 10

    総選挙大勝、それでも韓国進歩派に走る深い断層線

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 4

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食…

  • 9

    翼が生えた「天使」のような形に、トゲだらけの体表.…

  • 10

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story