親と生き別れ米国へ 再会待ち望むアフガニスタンの子どもたち
前出のミシガン移民権利センターのバネガス氏によれば、ミシガン州内のスター・コモンウェルス緊急保護施設は現在126人の子どもを預かっており、9日の時点ではそのうち27人が40日以上収容されているという。
里親として候補に挙がる家庭があっても、多くは子どもたちの母国語を話せるわけではなく、アフガニスタンの慣習にも馴染みがない、と支援者らは語る。
複数のアフガン系米国人団体では、子どもを引き取ってくれる人々を地域で見つけたにもかかわらず、障害に突き当たった。里親の認可取得のための州レベルの手続きが面倒で時間を要するものだったのだ。これらの団体は11月3日に連名でHHSに書簡を送った。ロイターが閲覧したところでは、HHSに対し、「里親制度や支援、人道的理由による臨時入国許可等、親子の再会や里親あっせんのプロセスを迅速かつ簡明なものにする」ことで、子どもが直面している「疎外、不安、喪失、悲しみ」を最小限に抑えるよう求めている。
HHSは、保護施設と協力しつつ設備が文化的に適切であるよう配慮し、トラウマを負った子どもに心理的なケアを提供しているとした。また、子どもの居場所については国外の親の希望を反映するよう努めているとも説明した。
子どもたちの苦悩
子どもたちは、親の安否が分からないという苦悩に加えて、望んだわけでもない移住のショックにも苦しんでいる。サダム・アジズさん(15)もその1人だ。サダムさんも両親と一緒に移動するものと思っていたのに、カブール空港で長時間待機しているときに水をくみに行ったところ、両親と離ればなれになってしまった。彼が水を持って戻ってきたとき、家族の姿はなかった。
米ワシントン州に住む伯父ジャマルディン・ロハニさんによれば、家族を見失ったサダムさんは空港にいた米兵に助けを求めた。米兵らもアジズ一家を見つけられなかったため、サダムさんにカタール行きの便に搭乗し、そこで両親を探すよう指示したという。
年齢のわりに幼い顔付きできゃしゃな体格のサダムさんは、カタールに到着すると、保護者のいない移民児童のための施設に移された。
ロハニさんが最初に甥の所在を知ったのは、国連児童基金(ユニセフ)からの電話だったという。電話は、サダムさんが独りぼっちでカタールにいる、と告げた。ユニセフにもロハニさんにも、サダムさんの両親がどこにいるのかはまったく分からなかった。
「3日間、眠れなかった」とロハニさんは言う。
ロハニさんはようやく、自身の弟であるサダムさんの父親は無事だが、前政権と米軍に協力していたため、アフガニスタン国内で潜伏生活を送っているという情報を得た。
サダムさんには、ロハニさんを頼る以外の道はなかった。伯父といっても、もう何年も会っていなかった。