最新記事

北欧

ロシアの脅威と北欧のチャイナ・リスク──試練の中のスウェーデン(下)

2020年7月13日(月)16時20分
清水 謙(立教大学法学部助教) ※アステイオン92より転載

さらに問題はこれにとどまらなかった。チャイナ・リスクがより一層強く認識されるに至ったのが「桂民海事件」である(注2)。二〇一九年一一月に、スウェーデン・ペンクラブが、抑圧されている、もしくは亡命している作家に与えられるテュショルスキー賞を桂民海に授与し、アマンダ・リンド文化・民主主義・スポーツ担当大臣が代理で授賞式に出席した。このことが中国を大きく刺激し、桂従友中国大使はペンクラブがただちに授与を撤回しなければ、対抗措置を取るとの声明を発表した。また、もしリンド大臣が授賞式に参加すれば中国は今後の訪中を拒否するとし、さらに他のスウェーデン政府の代表者が臨席すれば中国人民の感情を逆なですることになり、両国の友好関係を毀損すると強弁した。

これに屈せずリンド大臣は授賞式に出席したが、これに対し傲慢な口調でスウェーデン政府および国民に「警告」を発する桂大使の言動にスウェーデンは反発し、これを中国政府による恫喝であるとみなした。ルヴェーン首相はこうした中国の恫喝には一切屈しないと語気を強めたが、桂大使は「重量級のボクサーに軽量級のボクサーが挑発してくれば、どうなるか」という比喩を用いたり、中国外交部も「中国政府と人民の感情を害すればスウェーデン人も平穏ではいられなくなるだろう」などとのメールをメディアに直接送付したりと、経済的な圧力もちらつかせながらスウェーデン政府や様々なメディアに対して干渉を続けた。

これによって、スウェーデンでも反中感情が広がることとなったが、多くのスウェーデン企業が中国とのビジネスを展開している中で、スウェーデン本国への脅威はもちろんのこと中国に滞在するスウェーデン人の安全が侵害されるおそれが、現在進行形の深刻な問題となっている。なぜ中国がこれほどまでにスウェーデンに固執するのか定かではないが、「積極的外交政策」にあるように人権を尊重する姿勢を逆手に取ることで、その脆弱性をピンポイントに狙ってシャープパワーを用いた、ヨーロッパにおける力の変更を試みているとも考えられる。

おわりに

グローバル化と人の国際的移動などによって、いま世界は激動の秩序再編の真っ只中にある。これは、国内政治においては極右の台頭によって保革の政策的距離と対立軸が従来のモデルでは収まりきれなくなり、政党配置そのものの再検討が迫られているといえる。本稿ではスウェーデンを事例に見てきたが、「新しい保守」あるいは「新しい革新」というブロック政治の終焉のような政治的対立構造の変質はスウェーデン一国に限った問題ではない。これはヨーロッパ全体にも言えることであり、ひいては日本やアメリカにおいても同様の課題が生じつつあると指摘できるであろう。

また、イデオロギー対立による体制の優位を争った米ソ冷戦が終焉したとはいえ、ロシアによる力の変更はヨーロッパを揺るがし、さらに権威主義的な大国志向を強める中国の台頭は新たな米中冷戦とまで言われる。米ソ冷戦の最前線は分断されたヨーロッパにあったが、もし中国がヨーロッパにおいてもその影響力の拡張を試みているとすれば、人権や民主主義の擁護を声高に提唱するスウェーデンを脆弱なターゲットとして見据えているのではないだろうか。スウェーデンがこうした問題群にどのように対処していくのかを見ることによって、新たな時代を乗り越え、生き抜いていくヒントが見えてくる。

[注]
(2)桂民海は香港で書店を経営する作家で、一九八〇年代にスウェーデンのユーテボリ大学で学び、天安門事件によって難民資格を与えられた。その後、一九九二年にスウェーデン国籍を取得している。現在、桂民海は中国当局に拘束され、二〇二〇年二月二四日に禁錮一〇年を言い渡されたばかりである。

※第1回:スウェーデンはユートピアなのか?──試練の中のスウェーデン(上)
※第2回:保守思想が力を増すスウェーデン──試練の中のスウェーデン(中)

清水 謙(Ken Shimizu)
1981年生まれ。大阪外国語大学外国語学部スウェーデン語専攻卒業。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係論コース)にて、修士号取得(欧州研究)。同博士課程単位取得満期退学。主な著書に『大統領制化の比較政治学』(共著、ミネルヴァ書房)、『包摂・共生の政治か、排除の政治か─移民・難民と向き合うヨーロッパ』(共著、明石書店)など。

当記事は「アステイオン92」からの転載記事です。
asteionlogo200.jpg



アステイオン92
 特集「世界を覆う『まだら状の秩序』」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

EXCLUSIVE-チャットGPTなどAIモデルで

ビジネス

円安、輸入物価落ち着くとの前提弱める可能性=植田日

ワールド

中国製EVの氾濫阻止へ、欧州委員長が措置必要と表明

ワールド

ジョージア、デモ主催者を非難 「暴力で権力奪取画策
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食...止めようと叫ぶ子どもたち

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    「真の脅威」は中国の大きすぎる「その野心」

  • 5

    いま買うべきは日本株か、アメリカ株か? 4つの「グ…

  • 6

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 7

    デモを強制排除した米名門コロンビア大学の無分別...…

  • 8

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 9

    イギリスの不法入国者「ルワンダ強制移送計画」に非…

  • 10

    中国軍機がオーストラリア軍ヘリを妨害 豪国防相「…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 7

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 8

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 9

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 10

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中