コラム

現代ロシアの病、妄想か現実か......『インフル病みのペトロフ家』

2022年04月25日(月)11時13分

『インフル病みのペトロフ家』

<ロシア社会への本質的視点と強烈な風刺......。2021年カンヌ国際映画祭で話題となった『インフル病みのペトロフ家』>

ロシアの鬼才キリル・セレブレンニコフの作品については、以前、80年代初期のロシアのロックシーンを描いた『LETO -レト-』(18)を取り上げた。『LETO -レト-』につづく新作『インフル病みのペトロフ家』は、ロシアで高く評価されたアレクセイ・サリニコフのベストセラー小説の映画化だが、その内容を説明するのはなかなか難しい。

物語は、インフルエンザが流行する2004年のロシア、エカテリンブルクから始まる。主人公は、漫画を描くことにのめり込んでいる自動車整備士のペトロフ、彼の元妻で図書館の司書のペトロワと彼女と暮らす息子のセリョージャだ。

高熱を出してトロリーバスに乗っていたペトロフは、友人イーゴリに誘われて霊柩車のなかで酒盛りをし、さらにイーゴリの知り合いの哲学者ヴィーチャの家に押しかけ、酒を飲みつづける。一方、図書館から戻ったペトロワは、息子が熱を出しているのに気づき、ふたりでペトロフの家に向かう。

そんな2004年の現在のドラマに、1976年のソ連時代、あるいは1990年代のエピソードが盛り込まれる。さらに、漫画や小説という創作の世界、主人公たちの妄想なども挿入され、現実との境界を曖昧にする。

2004年と1976年のドラマをつなげる"ヨールカ祭"

一回で全体を把握するのは難しいが、それでも引き込まれてしまうのは、断片を結びつける要素や独自の表現があるからだ。

まず、2004年と1976年のドラマは、"ヨールカ祭"で繋がっている。ヨールカ祭とは、ヨーロッパから伝わったクリスマスの儀式とロシアの基層文化が融合した新年の到来を祝う祭りで、モミの木を飾り、サンタクロースのようなマロース爺さんや孫娘のスネグローチカ(雪むすめ)が登場する。

ペトロフの息子は、母親の反対を押し切り、父親に連れられてヨールカ祭に行く。ペトロフには4歳のときに行ったヨールカ祭での出来事が脳裏に焼き付いていて、その体験が視点や表現を変えて描かれる。

その彼の体験を踏まえるなら、ポイントになるのはヨールカ祭よりも、そこに登場する"雪むすめ"の存在だといえる。実際、本作では、ペトロフがトロリーバスやバスに乗るたびに、女性の車掌が必ず雪むすめの仮装をしている。ドラマの様々な場面で、テレビから雪むすめにまつわる歌が流れる。そんなふうに雪むすめが強調され、終盤でその存在が意味を持つ。

さらに、セレブレンニコフ作品の特徴である長回しが、本作ではこれまで以上に大きな効果を発揮している。ペトロフとイーゴリとヴィーチャが酒を飲んでいると、ペトロフの前に突然、仮装した少女が現われ、彼女に導かれるようにそのまま彼だけが、76年のヨールカ祭の世界に引き込まれる。

1990年代のエピソードでは、ペトロフの幼なじみで、自殺願望がある作家が、編集部に売り込みに行く場面から、ペトロフと会って自宅で願望を叶えるまでが、時間の経過、場所の移動、ペトロフをモデルにした人物が登場する小説のなかの出来事まで含めて、18分の長回しでシームレスに描かれる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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