コラム

パレスチナ問題の特殊性 中東全体の危機へと広がり得る理由

2019年04月25日(木)11時35分

さらに、前回のコラムで書いたように、ガザのパレスチナ人が毎週、イスラエル軍に向けてデモをし、銃撃で死傷している時に、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、オマーンなどの湾岸諸国は、トランプ大統領との関係を深め、イスラエルに接近している。

アラブとイスラエルの関係の変化を象徴したのが、2月中旬にポーランドのワルシャワで開かれた中東会議である。ネタニヤフ首相が出席し、アラブ世界からサウジ、UAE、バーレーンなど11カ国の外相や副外相らが出席した。ネタニヤフ首相は会議後に「アラブとイスラエルとの関係正常化」に自信を示した。

その会議にはパレスチナ自治政府の代表は参加していなかった。会議を主催したトランプ政権は、18年にガザや西岸を含め51カ所のパレスチナ難民キャンプを支援するUNRWAへの負担金を停止し、19年に入って自治政府への支援も停止した。

トランプ大統領はイスラエル総選挙の後に、自ら「世紀の取引」と呼ぶ和平提案を示すと見られている。その提案は極めてイスラエル寄りで、結果的にネタニヤフ首相が西岸のユダヤ人入植地を併合することと同じ内容だと、イスラエルメディアが報じている。

ガザでの反イスラエルデモと並行して、不利な和平条件をのめとばかりに、パレスチナ自治政府は<イスラエル=米国=親米アラブ諸国>という三重の圧力の下に置かれることになる。

イスラエルの軍事力、米国の政治力、湾岸アラブ諸国の資金力で抑え込まれたら自治政府を黙らせることなどたやすいことだと思うかもしれない。しかし、それで済まないのが「パレスチナ問題」の特殊性である。

10年ごとにパレスチナ危機がアラブ世界の矛盾をあぶり出す

10年ごとに繰り返される中東危機と、それに先立って起こるパレスチナ危機については、2018年5月のこのコラム(パレスチナ人を見殺しにするアラブ諸国 歴史が示す次の展開は...)で書いた。中東では80年代以降、次のようにほぼ10年おきに深刻な「危機」を繰り返してきた。

▽1979年、イラン革命、80年、イラン・イラク戦争
▽1990年、湾岸危機、91年、湾岸戦争
▽2001年、9.11米同時多発テロ、03年、イラク戦争
▽2011年、「アラブの春」、リビア内戦、シリア内戦

10年おきに中東危機が起こるのは偶然であろうが、それぞれの危機に先立って、パレスチナ問題が動いている。

▽79年のイラン革命、80年のイラン・イラク戦争の前の77年にはエジプトのサダト大統領がエルサレムを電撃訪問し、それは79年の米国の仲介によるイスラエル・エジプト平和条約に繋った。

▽イラクがクウェートに侵攻したことによって起こった90年の湾岸危機、91年の湾岸戦争の前の87年には、パレスチナで第1次インティファーダが起こった。当時のイラクのサダム・フセイン大統領は、クウェートからの撤退の条件としてイスラエルがパレスチナ占領地から撤退することを結びつけるリンケージ論を唱え、2つの問題を結び付け、湾岸戦争の時にはイラクからのスカッドミサイルがイスラエルに着弾した。さらに、米国は湾岸戦争後、マドリード中東和平国際会議を開催し、中東和平プロセスに乗り出さざるをえなかった。

▽2001年9月にイスラム過激派組織アルカイダが主導した9.11米当時多発テロが起こったが、その1年前に、パレスチナで第2次インティファーダが始まっている。それによってオスロ合意の破綻が明らかになった。

▽2011年の「アラブの春」の約2年前の08年末から09年1月にかけて、イスラエル軍によるガザ攻撃・侵攻で、1400人以上のパレスチナ人が死亡。アラブ諸国の無力さを露呈した。

パレスチナ危機が単純に中東危機の引き金になるというつもりはない。ただし、パレスチナ危機がアラブ世界の矛盾をあぶり出すことにはなる。パレスチナのインティファーダが始まれば、世界の注目がパレスチナに集まり、アラブ世界でもイスラエルを敵視するニュースが流れる。

しかし、圧倒的な力の差があるイスラエルの横暴とパレスチナの悲惨が浮き彫りになるだけでなく、同胞の受難に沈黙するアラブ諸国の無力さも見えてくる。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ガザ休戦合意に向けた取り組み、振り出しに戻る=ハマ

ビジネス

米金融政策は「引き締め的」、物価下押し圧力に=シカ

ビジネス

マクドナルド、米国内で5ドルのセットメニュー開始か

ビジネス

テスラ、急速充電ネットワーク拡大に5億ドル投資へ=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 2

    「少なくとも10年の禁固刑は覚悟すべき」「大谷はカネを取り戻せない」――水原一平の罪状認否を前に米大学教授が厳しい予測

  • 3

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加支援で供与の可能性

  • 4

    過去30年、乗客の荷物を1つも紛失したことがない奇跡…

  • 5

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 6

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 9

    「一番マシ」な政党だったはずが...一党長期政権支配…

  • 10

    「妻の行動で国民に心配かけたことを謝罪」 韓国ユン…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 5

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 6

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 7

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story