コラム

ノーベル賞2022の自然科学3賞と日本人科学者との関わり

2022年10月11日(火)11時25分

人類学は「私たちはどこから来たか」の疑問に答える重要な学問で、ロマンもあります。けれど、進化生物学の分野はノーベル賞を取れないと言われ続けてきました。実際に、ノーベル賞で扱われない分野を補完する目的で設置された「クラフォード賞」は、対象分野が天文学と数学、地球科学、生物科学(特に環境や進化の分野)とされています。

「ノーベル賞を取り損なった日本人科学者」で真っ先に名前が挙がる1人が、木村資生博士(1924-94)です。「進化生物学の父」とも言える人物で、現代の進化論の礎となる「中立進化説」を提唱しました。分子レベルの遺伝子の変化の大部分はダーウィンの進化論で説かれた「適者生存」ではなく、突然変異や遺伝的浮動で「幸運なものが残る」という説です。木村博士は「生物学の最高レベルの賞」とされるダーウィン・メダルを、日本人で唯一受賞しています。「進化生物学では木村博士ですらノーベル賞は取れなかった」とも言われてきました。

木村博士の影響もあり、進化生物学は現在も日本が世界的に強いとされている分野です。日本人はペーボ博士の成果をいち早く評価し、20年に日本国際賞を授与したり、OISTの客員教授に招聘したりもしています。ペーボ博士のノーベル賞受賞は、日本の進化生物学界の悲願達成とも言えるでしょう。

「量子もつれ」の実在を証明、応用で量子コンピュータ開発にも寄与

量子力学は、ニュートン力学に代表される古典力学では説明できなかった現象を記述することができる現代物理学の根幹となる理論です。けれど理論が先行するため、提唱されるさまざまな事象が実際に存在するかは実験で証明されるまでは多くの論争が起こります。

「量子もつれ」は、2つの量子はたとえどんなに遠く離れていても、片方の量子の状態が変わると、もう片方の状態も瞬時に変化するという事象です。もともとは、アインシュタインも疑義を呈した理論でした。

アスペ博士とクラウザー博士は70年代から、「量子もつれ」が実在することを証明するための実験を始めました。最初に実験に成功したのはクラウザー博士でしたが、失敗することもありました。アスペ博士は、実験をより洗練されたものにして、失敗をなくしました。

ツァイリンガー博士は、「量子もつれ」を応用すると、情報を埋め込んだ量子から、離れた場所にある量子に瞬時に伝えることができる「量子テレポーテーション」が起きることを実証しました。この特性は、現在のスーパーコンピュータが数千年かかる計算を瞬時に行える「量子コンピュータ」の開発に役立てられます。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

北朝鮮の金総書記、ロケット砲試射視察 今年から配備

ワールド

アングル:EU市民の生活水準低下、議会選で極右伸長

ワールド

アングル:ミャンマー内戦、国軍と少数民族武装勢力が

ビジネス

「クオンツの帝王」ジェームズ・シモンズ氏が死去、8
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加支援で供与の可能性

  • 4

    過去30年、乗客の荷物を1つも紛失したことがない奇跡…

  • 5

    「少なくとも10年の禁固刑は覚悟すべき」「大谷はカ…

  • 6

    ウクライナの水上攻撃ドローン「マグラV5」がロシア…

  • 7

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 8

    礼拝中の牧師を真正面から「銃撃」した男を逮捕...そ…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    この夏流行?新型コロナウイルスの変異ウイルス「FLi…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 3

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 9

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story