中国公認の反逆児、ジャ・ジャンクーの次なるビジョン
Inside Man
それでも、賈はデビュー当時からの姿勢を変えていない。その結果、今の賈は中国文化を海外に広める大使のような存在であると同時に、世界の映画界の潮流を国内に伝える存在ともなっている。
2017年には『プラットホーム』のロケ地の1つだった山西省の平遥で、新たな国際映画祭が誕生した。これも賈が音頭を取っ たもので、そこでは各国の代表的な映画と並んで国内の独立系映画も上映される。
自らメガホンを取り、歴史を語りつつ、中国映画の「顔」としての役割も果たす賈の立ち位置は、アメリカ映画界におけるマーティン・スコセッシのそれと似ている(スコセッシに比べると48歳の賈はまだ若いが)。
しかし、もっぱらアメリカにおける映画文化の継承と発展に取り組めばいいスコセッシと違って、賈は全く新しいものを基礎から築こうとしている。
歴史を記録する責任
昨年のカンヌ国際映画祭で『帰れない二人』が上映された際、賈はこう語っている。「私は中国における配給システムの改善に努めている。独立系映画の上映場所を増やしたいし、アート系制作会社の連合も立ち上げたい。しかし中国は大きな国だから、なかなか大変だ」
見上げたものだ。既に映画人として立派な実績を積み上げてきた男が、祖国の人々のためにさらに大きな夢を実現しようと努めている。
現在、中国の映画市場は世界第2位の規模で、映画の制作本数も多い。だが文化的には、まだ「眠れる巨人」と言っていいだろう。
ハリウッドも中国市場の将来性に期待している。得意のメガヒット作を中国市場で自由に公開できれば、ますます稼げるはずだからだ。
しかし賈が夢見るように国内で独立系作品が幅広く受け入れられるようになれば、もっと大きな変化が訪れるだろう。その夢が実現すれば、彼の最も大きな業績となるはずだ。
『帰れない二人』は自分が撮りたい映画と観客に受ける映画という野心のバランスを取った作品で、中国の政治状況とも市場 ともうまく折り合いをつけていた。そして賈としては過去最大の制作費を投じ、最大の興行収入を上げている。
2013年の『罪の手ざわり』は実際に中国で起きた事件に基づくエピソードを集めた作品で、ストーリーはアクション映画の定 石どおりに展開していく。『帰れない二人』も犯罪もので、主演は監督の妻であり、賈作品に欠かすことのできない女優の趙濤(チャオ・タオ)。彼女の演じるヒロインは、裏社会に生きる愛人の男を救うために銃を発砲して刑務所に入るが、出所した時にはもう男は姿を消していた......。
中国政府は映画の上映許可の 判断基準を明確にしていないため、当局の規制と検閲を予測するのがなんとも難しい。『罪の手ざわり』は最もエンターテインメント路線に寄っていたが、監督の期待を裏切って国内では上映禁止となった。
だが『帰れない二人』は、その運命を避けられた。賈は過去20年にわたって続けてきたように、この作品でも現代中国の激しい変化を真っ向から見つめている。これまでになく過激で、批判的な視点と言っていい。
野外ロケと自然音を重視し、風景や社会の変化、そこに生きる人間を一つの記録にまとめる独特のスタイルからは、目まぐるしく変化する現代中国に対する彼の思いが伝わってくる。
昨年、スイスのロカルノ国際映画祭で審査委員長を務めた賈はシンポジウムで、自分の感性は『一瞬の夢』を撮る前に汾陽で目にした大規模な再開発の光景で培われたと語った。
「しっかりと目に焼き付けておけ、すぐに消えてしまうからな、と父に言われた」。賈は故郷の町についてそう言った。「記憶 は失われる可能性があることに初めて気付いた」
後に彼はこうも語っている。「現在を撮影していても、たちまち過去になる。だから映画人には、何より歴史を記録するという責任がある」
これは比喩ではない。実際のところ『帰れない二人』は、賈が2001年に撮ったドキュメンタリー映像から始まる。『山河ノス タルジア』と同じ手法だ。ここからも、長年にわたる自分の経験を歴史として残そうとしていることが分かる。中国の激しい 変化の中では、現在は一瞬でしかないのだから。
しかも、意図的に本人の過去の作品を思い出させる仕掛けになっている。この映画も『山河ノスタルジア』や『罪の手ざわ り』と同じく、いくつかのパートに分かれていて、2002年の『青の稲妻』の主人公の故郷である 大同市や、2006年ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に輝いた『長江哀歌』の舞台である三峡ダム周辺が再び映し出される。