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化学兵器

シリア内戦で高まるサリン使用の現実味

2013年1月9日(水)17時17分
フレッド・カプラン

カギを握るのはロシア?

 化学兵器は、戦闘員や軍備だけでなく、敵方の民間人を大量殺戮する兵器だ。テロリストや狂人、権力にしがみつこうとする独裁者のための兵器なのだ。イラン・イラク戦争末期の88年には、イラクの独裁者サダム・フセインが北部の少数民族であるクルド人に化学兵器を使用した。ハラブジャという町で1日に5000人の命を奪ったことは有名だ。

 このような事態を避けるために、オバマは「レッドライン」という言葉を使ってシリア政府を牽制している。しかし、化学兵器を使用すればどういう措置を講じると、オバマはシリアに警告しているのか。

 91年の湾岸戦争当時、イラクは化学兵器をスカッドミサイルに載せてイスラエルに撃ち込む可能性があった。当時のジェームズ・ベーカー米国務長官は、イスラエルへの化学兵器攻撃は米本土への核攻撃と同一視すると宣言した。

 フセインは、この警告を受け止めたようだ。イラクはイスラエルに大量のスカッドミサイルを発射したが、化学兵器を搭載したものは1発もなかった。

 今回、オバマは当時のベーカーほど強硬な姿勢は打ち出していないが、それは賢明な判断だと言っていい。いま世界の国々は、シリアの主要な同盟国の1つであるイランに対して、核兵器開発計画を停止するよう圧力をかけている最中だからだ。

 それに、シリアの化学兵器をたたくという選択肢も合理的でない。そもそも、どこに貯蔵されているのか完全に判明していないし、貯蔵施設を爆破すれば、有毒なガスが近隣一帯に流れ出し、罪のない市民が大勢犠牲になりかねない。

 対応策として極めて明快な選択肢の1つは、アサドや政権の高官を抹殺するというものだ(潜伏場所を把握することが前提だが)。そのほかには、例えばロシアがシリアに圧力をかけるという選択肢もありうる。

 ロシアはシリアの最大の後ろ盾である半面、アメリカ政府以上に、大量破壊兵器の拡散に神経をとがらせてきた。もし、ロシアが武力攻撃の脅しをかけるなり、援助や物資供給の停止をちらつかせるなりしてシリアに圧力をかければ、アメリカの圧力以上に効果的だろう。

 内戦での化学兵器使用に輪を掛けて大きな不安材料もある。それは、アサド政権が崩壊したり、内戦末期に混乱状態に陥った場合に大量のサリンがどうなるのかという点だ。

 アメリカの専門家が既に現地入りして、化学兵器施設の安全を確保する方法を反政府勢力に指導しているという話もある。これは賢明な行動ではあるが、効果は限られている。

 米国防総省は、シリアの化学兵器を確保しようと思えば7万5000人の兵力が必要だと試算しているという。いくぶん誇張された数字だとしても、難しい課題であることは確かだ。

 シリアの化学兵器問題に関しては、1本のレッドラインがはっきりと引かれているというより、踏んではならないラインがあちこちに潜んでいるというべきなのかもしれない。

© 2013, Slate

[2012年12月19日号掲載]

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