最新記事

BOOKS

「虐待が脳を変えてしまう」脳科学者からの目を背けたくなるメッセージ

2019年3月22日(金)10時35分
印南敦史(作家、書評家)


 しかし、マクリーン病院発達生物学的精神科学教室とハーバード大学精神科学教室のタイチャーは、共同研究をしていく中で、それだけではまだ足りないのではないかと考え始めた。
 子どもの脳は身体的な経験を通して発達していく。この重要な時期(感受性期)に虐待を受けると、厳しいストレスの衝撃が脳の構造自体に影響を与える。それは、ソフトウェアだけの問題ではない。いわば、ハードウェア自体、つまり脳(生物学的要因)に傷を残すのではないだろうか。(109ページより)

実際、近年の脳画像診断法の発達により、児童虐待は発達過程にある脳自体の機能や精神構造に永続的なダメージを与えるということが分かってきたのだそうだ。大脳辺縁系、特に海馬に変化が見られることは、動物実験によっても明らかになっているという。

本書ではその事例が細かく紹介されているわけだが、なかでも個人的には、虐待による神経回路への影響の大きさに衝撃を受けた。

タイチャーらが、虐待を受けて育った人とそうでない人との神経回路の違いを調べたところ、身体感覚の想起にかかわる「楔前部(けつぜんぶ)」(ここには感覚情報をもとにした自身の身体マップがあると言われる)から伸びる神経ネットワークは、虐待を受けた人のほうが密になっていたというのだ。

同じく、痛み・不快・恐怖などの体験や、食べ物や薬物への衝動にも関係する「前島部」も密になっていたというから、つまりはこうした情報が伝わりやすい脳になっているということだ。

一方、意思決定や共感などの認知機能にかかわる「前帯状回」からの神経回路は、被虐待歴のない人はたくさん伸びているのに、虐待を受けた人はスカスカの状態だったそうだ。

注目すべきは、これらの調査は病院で行われたものではなく、社会で普通に暮らしている人たちを対象にしたものだということ。どの人も18歳から25歳の調査時点ではPTSDを発症しているわけではなく、うつ病と診断されているわけでもない。大学に通ったり仕事をしていたりと、一般社会に適応している人たちだというのである。

こうした脳の変化は、疾患や障害の影響で起きたものではないということだ。にもかかわらず、トラウマの痕跡が脳に刻まれているのである。だとすれば、それが子ども時代の虐待によるものであることは、専門家でなくとも想像できることではないだろうか。

しかし、もしもそうであるなら、虐待を受けた人は、みんな不幸な人生を歩まなければならないのだろうか? この問いに対して著者は、「それはまた別の話」だと主張している。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

米、大麻規制緩和案を発表 医療用など使用拡大も

ビジネス

資本への悪影響など考えBBVAの買収提案を拒否=サ

ワールド

原油先物は堅調、需要回復期待で 週間ベースでも上昇

ワールド

ガザで食料尽きる恐れ、ラファ作戦で支援困難に=国連
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 6

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 7

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 8

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 9

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 10

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中