最新記事

映画

水俣病を象徴する「あの写真」を撮った写真家の物語『MINAMATA─ミナマタ─』

An Unending Fight

2021年9月30日(木)21時33分
大橋希(本紙記者)

211005P48_MNM_03.jpg

真田や美波ははまり役 ©︎LARRY HORRICKS ©︎2020 MINAMATA FILM, LLC

抗議行動のような激しい場面もあるが、映画全体としては不穏ながら静かな空気が漂う。場面に合わせて70年代のコダックや富士フイルムのフィルムを使った映像、穏やかな海辺、押し付けがましくない坂本龍一の音楽といった要素も大きいかもしれない。ユージンが患者たちとの距離を縮めていく様子も、繊細でさりげない。

「客観的」を排除するポリシー

人間の素顔に迫る写真で称賛されるユージンだが、ネガの重ね焼きや極端なトリミング、古典絵画の構図を取り入れた構成などが「演出」と批判されたのも事実。だがその手法は、「ジャーナリズムのしきたりから取り除きたいのは『客観的』という言葉だ。われわれはみんな偏見を持っており、全ては主観的だ」と、常々言っていた彼の姿勢と矛盾しない。

アイリーンの言葉を借りれば、相手に近づいて相手の現実を可能な限り理解する、そして自分が見たありのままを伝えることが重要だとユージンは考えていた。

211005P48_MNM_04.jpg

患者の田中実子と(72年) PHOTO BY TAKESHI ISHIKAWA ©︎ISHIKAWA TAKESHI

チッソ五井工場(千葉県市原市)の労働者が患者や記者に暴行を加えた72年の事件では、ユージンも失明寸前の負傷をする。「沖縄戦での傷に重なる傷を受け、その後はとにかく体の痛みで大変だった。夜中に痛さのあまり、斧で頭を割ってくれと言ったこともあった」と、アイリーンは本誌に語る。それでも取材を続けたのは、被写体である患者の痛みを自分の現実として理解したからではないか。

ユージンは55年に世界的な写真家集団マグナム・フォトに加わったが、そのサイトは「スミスは写真家としての使命に熱狂的に打ち込んだ。その熱心さ故、しばしば彼は編集者たちに『厄介』と見なされた」と紹介している。これも彼の信念と表裏で、アイリーンいわく「ルールを破らなければいい仕事ができないなら、破る」「被写体に食らいつき、いい写真が撮れるまで絶対に諦めない」のがユージンだった。

写真の腕前はもちろんだが、ユーモアがあって子供っぽく温かい人柄であることも、彼ならではの作品を生み出す要素だった。

この映画が表現しているのは、当時の水俣とユージンの姿だけではない。チッソは廃水が水銀中毒を引き起こすと長年知りながら、公表せずにいた。つまり権力者の隠蔽が被害を拡大させた。権力と闘う人々の気概と苦悩、被害者に対する差別も普遍的なテーマだ。広く、多くの人に見てほしい作品であり、プロデューサーも務めるデップは「作られるべき映画だった」と語っている。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米EV税控除、一部重要鉱物要件の導入2年延期

ワールド

S&P、トルコの格付け「B+」に引き上げ 政策の連

ビジネス

ドットチャート改善必要、市場との対話に不十分=シカ

ビジネス

NY連銀総裁、2%物価目標「極めて重要」 サマーズ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 3

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前の適切な習慣」とは?

  • 4

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 5

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 6

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 7

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 8

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 9

    元ファーストレディの「知っている人」発言...メーガ…

  • 10

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中