コラム

アフガニスタン難民の苦難の道のりをアニメーションで描く『FLEE フリー』

2022年06月09日(木)18時00分

過去の呪縛をリアルに描き出していく

ヨナスはそんなアリの視点に心を動かされたに違いない。ユダヤ系である彼の祖先は、迫害や虐殺を逃れるためにロシアを離れ、デンマークに渡り、さらにドイツやイギリスへと転居を繰り返すことになったからだ。そして本作では、その視点をアミンに当てはめ、単に過去に起きたことを再現するのではなく、過去がどのようにアミンを呪縛してきたのかをリアルに描き出していく。

かつてひとりでデンマークへと亡命したアミンは、30代半ばとなり研究者として成功を収め、ゲイであるために抑圧されることもなく、恋人の男性と結婚しようとしている。だが彼には、恋人にも話していない、20年以上も抱え続けてきた秘密があった。そんなアミンは、親友の映画監督とドキュメンタリーを作り、カメラの前で自分をさらけ出すことで、過去と折り合いをつけようとする。

本作では、アミンと監督の間で断続的にインタビューが行われていくが、導入部に見逃せないエピソードがある。

監督に指示されて、アミンは横たわり、目をつむり、できるだけ古い記憶を思い出そうとする。彼の脳裏に、平気で姉の服を着て、ヘッドホンで音楽を聴きながらカブールの街を駆けまわる少年の姿が浮かび上がる。しかし、彼の父親の話題を振られると、なにも語れなくなり、撮影はストップする。

それから次のインタビューまでに、あるエピソードが盛り込まれる。アミンが思い出の品を詰めた箱からノートを取り出し、デンマークに着いてから書き留めたと説明する。そして、もうダリー語はうまく読めないと言いつつ、その一部を朗読する。それはこんな内容だ。


「ムジャヒディンがアフガニスタンで権力を握り、"僕の姉が誘拐され、父母と兄が殺されました。もし国を出なかったら僕もきっと殺されてしまったと思います"」

そこには、最初のインタビューで語られなかった父親の運命も明らかにされていることになる。ところが、次のインタビューで、アミンが父親のことを語ると、違う事実が浮かび上がる。父親は、ムジャヒディンが権力を握る前の共産主義政府によって"脅威"とみなされ、検挙されて行方不明になった。

さらにその後のインタビューでも、残りの家族がムジャヒディンに殺されたのではなく、カブールが制圧される直前に、ロシアに脱出し、モスクワで厳しい生活を送るようになったことが明らかになる。

不法滞在者となった一家は、弱みに付け込む警官や悪質な密入国業者に翻弄され、地獄のような苦しみを味わう。ヨナスは、過去を忠実に再現するカラーアニメーションと悪夢を思わせる抽象的なモノトーンのアニメーションを使い分け、さらにアーカイブ映像を挿入することで、アミンの記憶や複雑な感情をリアルに再現している。

結局、アミンはそうした苦難のなかで、自分や家族のために過去を偽って生きなければならなくなった。だから恋人のことも心から受け入れることができない。本作では、いまも過去に呪縛されているアミンが、本当の記憶を取り戻すことで解放されていく姿が鮮やかに描き出されている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

銃撃されたスロバキア首相、手術後の容体は安定も「非

ワールド

焦点:対中関税、貿易戦争につながらず 米中は冷めた

ワールド

中ロ首脳会談、包括的戦略パートナーシップ深化の共同

ビジネス

東芝、26年度営業利益率10%へ 最大4000人の
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史も「韻」を踏む

  • 3

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 4

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 5

    マーク・ザッカーバーグ氏インタビュー「なぜAIを無…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    それでもインドは中国に勝てない...国内企業の投資意…

  • 8

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 9

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 10

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story