コラム

26歳の僕を圧倒した初ジブリ体験、『風の谷のナウシカ』に見た映画の真骨頂

2021年03月04日(木)16時00分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<観終わってしばらくは席から立てなかった──「火の七日間」はどんな戦争だったのか。腐海や王蟲、巨神兵は何のメタファーか。安易な答えは呈示されない。だから想像する。思考する>

そのとき僕は26歳。交際していた彼女と映画を観ることにした。でも、この時期の僕は定収入がない。つまりフリーター(当時はそんな言葉はなかったけれど)。彼女も同じようなもの。極貧だからロードショーはほぼ観ない。当然のように名画座だ。

何を観るかは決めていた。『スプラッシュ』だ。泳げない青年アレンと人魚のラブロマンス。監督はハリウッドの職人ロン・ハワードだ。人魚を演じるのはダリル・ハンナで、アレンはトム・ハンクス。ただしこの時期、ハワードもハンクスもまだ無名に近かったはずだ。なぜ観ようと思ったのか。スマートフォンはもちろんネットもないこの時代、映画や演劇の情報は毎月買っていた情報誌「ぴあ」か「シティロード」で仕入れていたから、映画評を読んで決めたのだろう。ちなみに2018年に日本公開されたギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』は、明らかに『スプラッシュ』へのオマージュだ。

この時期の名画座の相場は500円か600円で2本立てか3本立て。目当ての『スプラッシュ』の併映は日本のアニメ作品だった。映画館でアニメ? 子供時代に観ていた「東映まんがまつり」以来だ。つまらなければ途中で出よう。僕はそう考えていたし、彼女も同じだったと思う。

先に観た『スプラッシュ』はまあまあだった。それなりに楽しめた。逆に言えばその程度。10分ほどの休憩を挟んでアニメが始まった。

終わったとき、僕も彼女もしばらくは席から立てなかった。すごい作品を観た。その思いは彼女も同じだったようだ。映画館を出た後に何をしたかは覚えていないが、2人とも言葉が少なかったことは確かだ。

僕にとって『風の谷のナウシカ』は初ジブリだ(厳密に言えばスタジオジブリの設立は本作公開後)。「火の七日間」と呼ばれる最終戦争はどのような戦争だったのか。他国への侵略を繰り返す軍事大国トルメキアは何を風刺しているのか。腐海や王蟲(オーム)、巨神兵は何のメタファーなのか。そうしたインセンティブの量が半端じゃない。観ながら考える。悩む。安易な答えは呈示されない。だから想像する。思考する。その状態は観終えても続く。まさしく映画だ。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

株式・債券ファンド、いずれも約120億ドル流入=B

ワールド

中国、総合的な不動産対策発表 地方政府が住宅購入

ビジネス

アングル:米ダウ一時4万ドル台、3万ドルから3年半

ワールド

北朝鮮、東岸沖へ短距離ミサイルを複数発発射=韓国軍
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、さらに深まる

  • 4

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 7

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    日鉄のUSスチール買収、米が承認の可能性「ゼロ」─…

  • 10

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story