コラム

落書きや放置自転車の発する「秩序感の薄さ」が犯罪を誘発する

2022年04月14日(木)08時15分

割れ窓理論の実践で最も有名なのが、ニューヨークの地下鉄の強盗対策だ。そこでは、落書きを犯罪の呼び水と位置づけ、落書きから得られる利益の消滅を図った。つまり、落書き犯は、自分で見て自己満足するか、他人に見せて自慢するために書くから、車両をきれいにした後に落書きされた場合には、それが消されるまでその車両は走らせなかった。したがって、落書きだらけの車両に落書きした場合には、それを見てもらえるが、きれいな車両に落書きした場合には、それを見てもらえないことになったわけだ。これでは、落書きのモチベーションはなくなる。その結果、対策開始から5年間で落書きは姿を消し、それに続いて、増加していた地下鉄での強盗も減少に転じた。

komiya220413_3.jpg

1976年当時のニューヨークの地下鉄 筆者撮影

komiya220413_4.jpg

2003年当時のニューヨークの地下鉄 筆者撮影

事件現場にも、心理的に「入りやすく見えにくい場所」が多くある。2005年に栃木県今市市(現日光市)で起きた女児殺害事件の誘拐場所もその一例だ。

まず、登下校の近道になっていたトンネルの壁面に落書きがあった。

komiya220413_5.jpg

誘拐現場周辺の様子 筆者撮影

次に、通学路沿いの宅地分譲地には、自動車、コンピュータ、冷蔵庫、自転車、タイヤ、洗濯機などが不法投棄されていた。分譲後に開発が放棄されたため、人家はなく、荒れ放題だったのだ。

komiya220413_6.jpg

誘拐現場周辺の様子 筆者撮影

かつて、ある研究グループが、落書きを消しても犯罪が減らなかったから割れ窓理論には防犯効果がないと主張したことがあった。しかし、この実験では、研究者自身が落書きを消してしまったので、実験手法に問題があったと言わざるを得ない。

前述したように、割れ窓理論が落書きの放置を重視するのは、その背景に地域住民の無関心や無責任が見て取れるからだ。つまり、住民自らが落書きを消すよう働きかけなければ、地域の防犯力は向上しない。研究者自身が落書きを消して、さも住民の関心が高いかのように見せかけても、無関心のシグナルはほかにもたくさんある。頭隠して尻隠さず。表面だけ着飾っても本質は隠し切れない。

以上述べてきたように、「小さな悪」の放置が人々の罪悪感を弱め、その結果、「小さな悪」がはびこるようになり、それが日常の秩序感を崩し、「大きな悪」を生み出してしまう。したがって、落書きや不法投棄といった「小さな悪」を見かけたら、見て見ぬ振りをせず、きちんと対応することが必要だ。そうすれば、人々の罪悪感の低下を防ぎ、地域の秩序感を保つこともできるはずである。

20240521issue_cover150.jpg
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2024年5月21日号(5月14日発売)は「インドのヒント」特集。[モディ首相独占取材]矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディの言葉にあり

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ロ中、ガス輸送管「シベリアの力2」で近い将来に契約

ビジネス

米テスラ、自動運転システム開発で中国データの活用計

ワールド

上海市政府、データ海外移転で迅速化対象リスト作成 

ワールド

ウクライナがクリミア基地攻撃、ロ戦闘機3機を破壊=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、さらに深まる

  • 4

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 7

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    日鉄のUSスチール買収、米が承認の可能性「ゼロ」─…

  • 10

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story