コラム

「事件の起こる場所には共通点がある」犯罪機会論を構成する諸理論

2022年03月30日(水)07時00分

都市の安全を守るのは街路であり、街路の安全を守るのは「街路への視線」だと著述家で運動家のジェイン・ジェイコブズは言う(写真はイメージです) Cuckoo-iStock

<「犯罪機会論」を防犯対策の基盤とするアメリカやイギリスがたどったプロセスとは?>

日々起こる事件の背景に迫るには、犯罪防止のための二つのアプローチを意識することが有用である。それは、「犯罪原因論」と「犯罪機会論」と呼ばれている。

犯罪原因論は、犯罪者が犯行に及んだ原因を究明し、それを除去することによって犯罪を防止しようとする。「だれ」が犯罪を実行したのかから始まり、「だれ」が改善更生したのかで終わる刑事司法システムは、この犯罪原因論に立脚している。したがって、犯罪原因論の担当は、犯罪者を逮捕する警察と犯罪者を改善更生させる矯正保護機関(刑務所や保護観察所など)になる。

これに対し、犯罪機会論は、犯罪の機会を与えないことによって犯罪を未然に防止しようとする。ここで言う「犯罪の機会」とは、犯罪が成功しそうな雰囲気のことである。そのため、「どこ」でそうした雰囲気が漂っているかが問題になる。つまり、場所を管理する地方自治体と雰囲気を生成する住民や企業が犯罪機会論の担い手になるわけだ。

海外では、犯罪発生「後」を扱う犯罪原因論と、犯罪発生「前」を扱う犯罪機会論の役割分担が確立している。つまり、警察などが事後を担当し、地方自治体などが事前を担当している。例えば、イギリスでは、「犯罪および秩序違反法」(1998年)の17条が、地方自治体に対し、犯罪への影響と犯罪防止の必要性に配慮して施策を実施する義務を課している。地方自治体がこの義務に違反した場合には訴えられると、内務省の説明書に書かれている。残念ながら、日本ではこうした法律はない。

機械仕掛けの都市開発が犯罪を誘発

そもそも、犯罪機会論の発端は、フランスのアンドレ・ゲリーとベルギーのアドルフ・ケトレーまで遡る。二人は、1820年代後半から30年代前半にかけて、それぞれ別々に犯罪統計を分析し、窃盗の発生率は貧困地域よりも富裕地域の方が高いという、それまでの常識とは異なる事実を発見した。富裕地域における「窃盗の機会」の多さこそが、犯罪率の高さを説明すると喝破した。

しかし、その後、犯罪原因論が隆盛を極めたため、犯罪機会論は歴史の裏街道に押しやられた。それを表街道に引き戻したのが、アメリカの著述家・運動家ジェイン・ジェイコブズだ。ジェイコブズは、1961年に『アメリカ大都市の死と生』(邦訳・鹿島出版会)を著し、当時の都市開発の常識であった「住宅の高層化」に異議を唱えた。

高層住宅開発(都市の立体化)は、「近代建築の父」と呼ばれるフランスのル・コルビュジエが提唱した都市計画の手法である。そこでは、密集した住宅を高層化することで、緑豊かなオープンスペースを新たに作り出すことが目指されていた。だがジェイコブズは、そうした機械仕掛けの都市は犯罪を誘発すると警鐘を鳴らした。

プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 9

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 10

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story