コラム

アメリカの顔認証システムによる市民監視体制は、もはや一線を超えた

2020年09月03日(木)18時20分

犯罪「事前」捜査の三つの捜査ツール 生体認証、SNS監視、予測捜査

2017年8月、筆者は江添佳代子と共著で『犯罪「事前」捜査』(角川新書)を上梓した。「犯罪が起きる前の捜査」に関する書籍で主としてFBIとアメリカの警察の活動を中心に紹介した。その時点でFBIが使用する主なデータベースには下記のものがあった。なお、FACEの数値は最近のものに変更している。FACEはFACESと表記されることもあるが、FBI自身が使っているのがFACEであり、多くの資料でもFACEと表記しているので、FACEで統一している。

ichida0907a.jpg

FBIで電子的な監視を主として担当しているのは次の部局と考えられる。

ichida0903c.jpg

これらの部局は以前は自前のシステムを中心に活動を行っていたが、徐々に外部の民間組織(一部非営利団体を含むため企業という言葉を使っていない)を利用するようになってきている。分野は顔認証システム、個人情報データベースなど多岐にわたっている。そして、その情報を利用するのが法執行機関なのだから合法かつ包括的な監視体制が官民の協力によって構築されていると言っても過言ではないだろう。

中国やインドでは国家が主導して国民を監視する体制を整備したが、アメリカでは民間組織と法執行機関がタッグを組んで監視体制を整備している。

こうした監視活動は従来の犯罪が起きてから行う事後捜査ではなく、犯罪が起きる前に行う犯罪「事前」捜査に当たる。なにもしていない多くの市民を監視化においている。現在、犯罪「事前」捜査には大きく三つのアプローチがある。

 ・顔認証システムを中心とする生体認証システム あらかじめ多くの市民の生体認証を収集し、それを個人情報と紐付けておき、迅速に検索、特定できるようにしておく。
 ・SNS監視システム SNSの投稿を監視し、危険な発言を行っている個人やグループを監視し、犯罪の兆候を事前に察知する。
 ・予測捜査 過去のデータを元に将来起こる犯罪を予測し、対処する。

SNS監視システムは前回の黒人人権運動(2014年から2016年、Black Lives Matter)を契機に全米の警察に導入され、市民の監視に用いられるようになった。これについては前述の『犯罪「事前」捜査』(角川新書)にくわしく紹介したので、関心ある方はご覧いただきたい。

これらの監視活動の次、もしくは並行して大量監視以外の手法が用いられる。リーガルマルウェアによる監視および情報収集である。リーガルマルウェアとはポリスウェアあるいはガバメントウェアとも呼ばれる政府機関が使用するマルウェアである。さまざまな種類が存在し、政府機関に向けてマルウェアを開発、提供する民間企業もある。感染したPCやスマホから情報を盗み出す、位置情報を取得する、マイクやカメラを密かにオンにして情報を集める、キーボード操作を記録する、メールやメッセンジャーの内容を盗み見する、交流のある他のPCやスマホに感染を広げるといた活動を行う。FBIも過去にマルウェアを開発し、捜査に活用してきた。

たとえば2011年のOperation Torpedoでは匿名性の高いダークウェブの利用者を特定するためにマルウェアを用いた。2015年に20万人以上の世界最大級の児童ポルノサイト、プレイペンを摘発した際は同サイトをFBIが二週間運営し、サイトを訪れた利用者をマルウェアに感染させて特定していった。

また、FBIは民間企業が開発、販売していたマルウェアも利用していたことがわかっている。2014年8月に、世界各国の政府機関にマルウェアを提供していたガンマグループから大量の資料が流出した。その中に、FBIとのメールも含まれており、イタリアのサイバー軍需企業ハッキング・チームのマルウェア「ガリレオ(Galileo)」のユーザーであったことが書かれていた。そしてFBIは通常は自前のマルウェアを使用し、バックアップとしてガリレオを利用していたという(前掲 『犯罪「事前」捜査』角川新書)。

スティングレイという装置も使われる。これはスマホの通信基地局に偽装する装置で、監視対象がいると想定される範囲内で使用して相手のスマホを接続させ、位置を特定する。この装置の問題は通信基地局に偽装するため周囲の無関係の人々もニセの基地局に接続してしまうことだ。この装置の存在は公には知られていなかったが、「ザ・ハッカー」と呼ばれたリグ・メイデンが逮捕、投獄された後でスティングレイという装置が使われたことを発見し、無罪釈放となった。

ドローンに搭載して利用することもある。X線装置を搭載した自動車(バン)も利用されている。ターゲットの人物、車両あるいは屋内をX線によって調査する。ニューヨーク市警ではRapiscan system社の車両ZBVを使って一般人にX線を照射していた(ProPublica、2015年1月9日)。ちなみにこのZBVはイラクとアフガニスタンでも爆発物の発見などに使われており、イラク兵からは「白い悪魔」(ZBVの車体が白かったため)と呼ばれていた。

このように大量監視でない捜査方法は多種多様なものがあり、かなり以前からFBIおよびNSAなどの他の政府機関はそれらを自前あるいは民間から購入して利用できるようになっていた。これらの手法と問題点についてはブレナン・センター(Brennan Center for Justice)がニューヨーク市警の捜査手法を分析した資料が詳しい。

近年の大きな変化は先に述べた顔認証システム、SNS監視システム、予測捜査ツールの普及である。今回は近年大きな広がりを見せている顔認証システムと予測捜査を中心にご紹介したい。

プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ウクライナ侵攻と情報戦』(扶桑社新書)など著作多数。X(旧ツイッター)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国、日米欧台の工業用樹脂に反ダンピング調査 最大

ワールド

スロバキア首相銃撃事件、内相が単独犯行でない可能性

ビジネス

独メルセデス、米アラバマ州工場の労働者が労組結成を

ビジネス

中国人民元建て債、4月も海外勢保有拡大 国債は減少
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 7

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 8

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 9

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 10

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story