コラム

「目の前の試合をやることしかできない」?──アスリートも例外ではない「現場プロフェッショナルロマン主義」の罪

2021年07月15日(木)12時10分

しかし本当は、その理屈はおかしいのだ。近代自由民主主義のシステムは、人間に、それぞれ与えられた属性から独立した一人の個人として社会の前に立つことを要求している。その人が自分自身の「本分」を全うしていようがいまいが、一人ひとりが、個人としての自由意志に基づいて、一人の「公民」として、責任をもって社会に参画しなければ、真っ当な政治文化は成り立たない。この自由な社会の「個人」に与えられた社会参加の責務は、「役割を全うすること」と同等の、いやそれ以上に重い。

「各人は与えられた領分を離れず、守るべし」という道徳は、本質的には近代市民社会の政治的な義務と相容れない。こうした道徳が通俗化してしまうと、政治的なものにするべき事柄でも政治的なものに昇華せず、ただ一人ひとりが「役割を全うすること」を称賛して消費するだけの歪な言説空間が生まれる。私はそれを「現場プロフェッショナルロマン主義」と呼んでいる。

現場プロフェッショナルロマン主義はなぜ安直か

一人ひとりの人間が、目下の政治的問題に直面して、決断を回避するために取られる最も安直な逃避行動として、現場で「やるべきことをやっている」プロを称えるというものがある。そうした行動は、「脱政治的」な行為だとみなされており、政治的な行為よりも価値が高いとみなされている。

たとえば、このコロナ禍の中で、現場で大変な思いをして治療に、ワクチンに「役割を全う」している医療従事者に感謝をしよう、という意見に反対する者はほとんどいないだろう。しかし、その医療現場が、感染拡大に有効な手を打てず現場の医療崩壊を招いたりワクチン不足で現場のスケジュールの混乱を招いた知事や政府の政治的責任を追求しよう、と言い始めると、賛同者は減少する。「文句を言わずに黙々と治療を続けている当事者」を引き合いに出して、政治的な批判をする者を道義的に批難する者もいる。

オリンピックの利害関係者のうち、選手だけを特権的に批判対象から外すときも、このイデオロギーは働いている。選手が目の前の試合にストイックに努力していることの価値は、道徳や美学の範疇に属する。しかし、だからといって政治的な責任を回避できるわけではない。

政治を道徳や美学の問題に還元する思考をカール・シュミットは「政治的ロマン主義」と呼んだが、私はそれをもじって、政治を回避した現場への情緒的な寄り添いのことを「現場プロフェッショナルロマン主義」と暫定的に定義している。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:「豪華装備」競う中国EVメーカー、西側と

ビジネス

NY外為市場=ドルが158円台乗せ、日銀の現状維持

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型グロース株高い

ビジネス

米PCE価格指数、インフレ率の緩やかな上昇示す 個
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 4

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 5

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 6

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 7

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 8

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 9

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 10

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story