コラム

L型産業で「江戸時代化」する日本

2014年11月05日(水)17時52分

 冨山和彦氏(経営共創基盤CEO)が、文部科学省の有識者会議で示した「我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性」という資料が、大きな反響を呼んでいる。これが衝撃を与えたのは、大学をG型(グローバル)とL型(ローカル)にわけ、大部分をL型大学に分類したからだろう。

 G型は世界の一流大学と競争する(特に理科系の)大学であり、グローバルに競争できる高度な人材が必要だ。しかしハーバード大学やオクスフォード大学などは、ごく一部のエリートに高度な専門知識を教える教育機関であり、その卒業生は労働人口の1%にも満たない。

 日本の大学の卒業生の大部分は、ローカルなサービス業に就職するので、高度な専門知識も一般教養も必要ない。L型大学はシェイクスピアや経営戦略論を教えるのではなく、簿記や会計を教える職業訓練校になるべきだ――というのが冨山氏の主張である。

 これは本質的には、大学ではなく産業構造の問題である。かつて日本経済を支えた製造業はグローバル化で新興国に生産拠点を移し、日本に残るのは研究開発と経営だけだ。GDP(国内総生産)の70%、労働人口の80%はL型になるだろう。冨山氏の次の図はわかりやすい。

G型産業とL型産業(出所:冨山和彦氏)

G型産業とL型産業(出所:冨山和彦氏)

 雇用が新興国に流出することは避けられないし、避けるべきでもない。G型産業からみると、海外で上げた利益は海外で投資することが合理的だ。法人税率や賃金が高く、雇用規制の強い日本に投資する意味はない。それは資本主義では当然であり、国民所得(GDP+所得収支)でみると成長の源泉になる。

 しかし超効率的になったG型産業では、雇用は増えない。むしろ研究開発に特化すると、国内の比率は下がっていく。大部分の労働者はL型の個人向けサービス業になるしかなく、現実にそういう変化が起こっている。それが非正社員が増え、平均賃金が下がる原因である。

 冨山氏もいうように(私も当コラムでも書いたように)、この分野の労働生産性(付加価値/従業員数)を上げることが、日本経済の究極の問題である。これは容易なことではない。大学教育の改革は必要だが、それだけでは十分ではない。

 労働市場と資本市場の改革で、生産要素(労働・資本)を流動化させることが重要だが、これには多くの人が抵抗する。派遣労働の自由化には労働組合が反対し、地方からの雇用流出には自治体が反対する。

 安倍政権の「地方創生」はこれに迎合して、公共事業で地方に雇用を「創生」しようという政策だが、これは確実に失敗する。冨山氏の批判するように、地方の衰退をまねいている最大の原因が、こういう「官」に依存した体質だからである。地方が自立し、集約化を進めるしかない。

 しかし文科省は「大学院重点化」で、すべての学生がG型人材になれるかのような幻想を振りまく。日銀はいまだに「貿易立国」の幻想にすがって、追加緩和でG型産業を支援しようとするが、ドル高になると、せっかく下がった原油価格がまた上がり、L型産業は苦しくなるだけだ。

 残念ながら、グローバル化が逆転しないかぎり、G型産業が日本に戻ってくることはありえない。日本の産業の主流はすでにL型産業であり、それは多くの先進国に共通の現象だ。80年代にアメリカが日本に追い上げられ、製造業から非製造業に転換したときと同じ変化を、日本も経験しているのだ。その結果おこるのは、労働生産性も賃金も高い製造業から、低賃金のサービス業への労働移動である。

 それは日本人になじみのない世界ではない。江戸時代には270年間、人々は生まれた地方から出ることはなく、L型の農業で労働生産性を極限まで高めた。山の上まで耕された段々畑は、日本の勤勉革命の象徴である。労働人口が土地に固定されたため成長率は下がったが、人々は農作業に生きがいを見出し、労働意欲は高かった。

 G型産業で急成長を遂げた高度成長期は、発展途上国が先進国にキャッチアップする過渡的な局面だった。その後には成熟した――平和だが退屈な――L型産業の「新たな江戸時代」が来るのである。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか

ワールド

北朝鮮の金総書記、核戦力増強を指示 戦術誘導弾の実

ビジネス

アングル:中国の住宅買い換えキャンペーン、中古物件
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 9

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 10

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story