アステイオン

言語

言葉の「呪術」性はどこから来たのか...育児=「見ている対象に同一化すること」から考える

2024年01月24日(水)15時05分
千葉一幹(大東文化大学教授・文芸評論家)

育児における見つめ合いが重要であることに異論はない。では、人間と同様に育児する哺乳動物や鳥類と人間の間に差異はどう説明するのか。なぜ、人間のみが言語を持ち、社会生活を営むのか。私は、人間の育児には、哺乳動物や鳥類にはない契機があると思う。

人は、愛する者に視線を注ぐだけではない。母は胸に抱いたわが子に視線を注ぎつつやがてそこから視線をそらし別のものへと目をさし向ける。子どもは、自身からそらされた視線を追いかけるだろう。やがて子どもも、愛する母から目をそらし、外界の事物に視線を差し向ける。

そのとき子は、指さし行動を通じて、母の視線を自身が目を向けたものへの誘う。認知心理学では、これをジョイント・アテンションすなわち共同注視という。生後8カ月あまりの子どもが示し始める指さし行動、そしてそれにより引き起こされる共同注視。この同じものを見る体験を通じ、子どもと親たちは共通の体験を蓄積していく。

視線の共有を通じた体験の蓄積にこそ人間性、言語と社会の起源があるのではないか。人は愛する者の視線を求めるだけでなく、愛する者に自分が好むものを見てもらいたいと思うのだ。

持統天皇が、香具山を見てそれに同化した歌を詠んだのは、単に彼女が香具山と交感し一体化した体験があったからではない。その体験の、誰かとの共有を求めたのだ。子が母と同じものを見たがるように。

人は、国境を越え、あるいは人間と動物の壁をさらには人と無生物の境を跨ぎ、越境していく。しかしそれは単に人が他なるものになるだけでなく、人はその体験を他者と共有したいと望むのだ。

それが人間の愛のあり方だと思う。愛というよりも人間の性かもしれない。

ウクライナでまたパレスチナで戦争が起き、憎悪の波が世界中を襲うようにも思われる今日、こうした思いを持つことはあまりにナイーヴなものだろうか。むしろそうした時代だからこそ、愛に基づく越境を試みる人間の有り様を信じたいと思う。


千葉一幹(Kazumiki Chiba)
1961年生まれ。大東文化大学教授。文芸評論家。東京大学文学部仏文科卒、同大学院比較文学比較文化博士課程満期退学。群像新人文学賞、島田謹二記念学藝賞受賞。著書に『クリニック・クリティック 私批評宣言』『『銀河鉄道の夜』しあわせさがし』『宮沢賢治 すべてのさいはひをかけてねがふ』『現代文学は「震災の傷」を癒やせるか3・11の衝撃とメランコリー』『コンテクストの読み方 コロナ時代の人文学』『失格でもいいじゃないの 太宰治の罪と愛』などがある。



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