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南米街角クラブ

島田愛加|ブラジル/ペルー

アートあふれるサンパウロはブラジルHip-Hopのメッカ その①

アメリカのHip-Hop文化は、サンパウロでブラジル独自のHip-Hopとして定着した (photo by i-Stock)

ブラジル最大の都市。
それは首都ブラジリアではなく、サンバとボサノヴァの発祥地リオデジャネイロでもない。
ブラジル最大の都市はサンパウロ。

ブラジル最大、いや、南米最大の経済都市として重要にも関わらず、南米観光ではスルーされがちだ。
「日本からリオデジャネイロに行く際、乗り継ぎでサンパウロを通りました」なんて話を何度も聞いた。

確かに、ブラジル最初の首都であったサルヴァドールの由緒ある歴史的建造物や、リオデジャネイロのようなポストカード的な風景と比べるとインパクトに欠ける。
それでも、サンパウロほど絶えずに面白いことが起こり続ける街はないと思う。

では、サンパウロの何が面白くて、見どころはどこなのか?
真っ先に思い浮かぶのは、アートだ。
オーケストラのレベルが高いとか、ギャラリーが多いことだけではなく、街中の至る所にアートがあふれている。
例えば、道路に設置されたごみ箱。燃えるごみは青色、プラスチックは赤色、金属は黄色、と種類ごとに鮮やかな塗装が施され、形が丸だったり四角だったりと一際目立つ。ごみ箱を隠そうとせず、まるでオブジェとしているようだ。

|Hip-Hopはサンパウロにぴったりはまった

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早朝のバットマン横町、夕方からイベントが始まる(photo by Aika Shimada)

もしあなたが「じゃあサンパウロに行ってみようかな」と思ってくれたのならば、まずはバットマン横町をおすすめしたい。
ここはグラフィティ(街中の壁やシャッターに描かれた絵)が楽しめるエリアで、パンデミックが落ち着いてきた今は、再びライブや展示で盛り上がっている。

グラフィティの良いところは、作品が日常的な風景の中に存在していること。
バットマン横町で見ることができるようなグラフィティは、70年代にアメリカのニューヨークで誕生したものだ。
グラフィティに加えて、屋外パーティーで披露されるブレイクダンス、DJがかける音源にのせて歌われたラップは"Hip-Hop"と総称され一つの文化となり、今も多くの人を魅了している。

大都市二ューヨークで生まれたHip-Hopは、南米最大都市サンパウロにぴったりとはまったのだ。

|ブラジルHip-Hopのメッカ「サンパウロ」

総合アートとしてアメリカのHip-Hop文化の影響を受け、サンパウロでブラジル独自のHip-Hopが定着し始めたのは80年代。
繁華街でブレイクダンスを始めた若者たちの輪が大きくなり、通行人の妨げになって警察に立ち退きを求められてしまう。
場所を失った彼らがみつけたのは、ひと駅離れた地下鉄サンベント駅前。
舗装されたコンクリートは踊りやすく、地下鉄に入るために作られた大きな螺旋階段には多くの見物客が集まった。

この駅前ステージに集まった顔ぶれは、地下鉄やバスで1時間から2時間近く離れた貧しい郊外エリアに住む若者たち。
多くが混血もしくはアフリカ系ブラジル人で、彼らは勉学や仕事のために街の中心部まで通い、その帰りにこのブレイクダンスに顔を出していた。

音楽を流すためのラジカセに電池が必要だったが、そんなお金は持っていない(彼らがあまりお金を持っていなかったのもあるが、ブラジルで電池は比較的高価)。
無許可で近くの電線から電気を引っ張りラジカセに繋いだ。
それがバレて音楽が流せなくなった際は、アルミ製のごみ箱を叩いてビートを刻みながら踊り続けた。

このブレイクダンスは盛り上がり、多くのジャーナリストが取材に訪れたそうだ。
また、サンベント駅を真似するように、ショッピングセンターや公園などでブレイクダンスの輪が広まっていった。

|アフリカ系ブラジル人の自尊心

彼らがHip-Hopに燃えていたのは、誰もが参加できるという気軽さ以外に、もう一つ重要な意味があった。
Hip-Hopというアフリカ系アメリカ人が中心となって生まれた文化は、アフリカという同じルーツをもつアフリカ系ブラジル人に非常に強い共感を持たれたのだ。

1982年に結成されたアメリカのHip-Hopグループ、パブリック・エネミーは、人種差別について社会にメッセージを投げかけて人気となった。やがて彼らの想いは海を越え、この "ブラック・パワー" の魂がブラジルにも届くこととなる。

それはサンパウロのアフリカ系の若者たちの自尊心を目覚めさせた。
醜いとされてきた縮れた髪を伸ばして丸く綺麗にセットしたり、編み込みにしたりと、アフロなヘアスタイルに誇りを持ち始めた。

そして、自分たちの想いをラップに託すことになる。

ラッパーたちはHip-Hopのイベントで自作曲を披露。即興ラップバトルも開催されるようになる。
バックトラックはアメリカのラップ・ミュージックを参考にするが、歌詞はもちろんポルトガル語。
実はブラジルには日常的な出来事を即興で歌う詩人(彼らはへペンチスタと呼ばれる)が存在する。その文化によって韻を踏む面白さがずっと昔から伝えられていたことの影響もあっただろう。

|ラップ・ミュージックがアンダーグラウンドだった理由

彼らがラップにしたのは、「貧困層の生活」「犯罪や警察との抗争」「格差」「人種差別」など、ブラジルが今もかかえる大きな社会問題が中心となっていた。
その訴えは激しくなり、続々とアーティストやグループが登場。ほとんどのアーティストが仲間内で録音作業を行った。
レコードやテープは手売りだったが、ラップ・ミュージックの人気は日に日に増していった。

90年代に活躍したアーテイストたちは、アンダーグラウンドでは絶大的な人気を博していたが、その歌詞の内容が問題視され、メジャーなラジオ番組では放送ができないと拒否されることが多かった。
例えば、ハシオナイスMC'sは今日活躍する有名ラッパーたちが崇拝する伝説的グループだが、当時彼らが歌ったスラム街の麻薬取引や警察の残虐行為といったテーマを「暴力的」「子供に悪影響だ」と批判する声も多かった。
彼らの言う"日常"を、現実として認められない階層の人達が沢山存在したのである。

Profile

著者プロフィール
島田愛加

音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。

Webサイト:https://lit.link/aikashimada

Twitter: @aika_shimada

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