World Voice

悠久のメソポタミア、イラクでの日々から

牧野アンドレ|イラク

83歳のイラク人おじいさんが、アメリカに移住を決めた話

イラク北東部、スレイマニヤ市に落ちる夕日 ©筆者撮影

先日、イラク北東部の都市スレイマニヤ市に仕事で出張に行ってきました。

スレイマニヤは比較的オープンであるクルド人が暮らす地域の中でもさらにオープンな人たちが多く暮らしており、街中でもキスをする若者をみたり、女性が短いスカートを履いたりと、本当にイラクにいるのかと錯覚をする瞬間も経験します。

スレイマニヤには数年前に知り合った日本大好きの友人がいます。彼とは知り合った日に意気投合をし、今では私がスレイマニヤに来たときは彼の家に、彼が私の暮らすエルビルに来た際には私の家に泊まり一晩中お酒を片手に語り合う仲となりました。

彼はスレイマニヤで某国際運輸の会社で働いています。

昨年、オフィスで働いているとある男性が書類を持って訪れたそうです。それはアメリカに送るための書類でした。

今回はスレイマニヤの友人から聞いた、この男性(以下、Aさん)の話をご紹介します。

(テキーラ3杯飲んだ後の話でしたので少し友人の誇張もあるかと思いますが、話の大枠は間違いないと思うのでご了承ください)

  

「イラクを出てアメリカに移住するんだ!」満面の笑みで人生を語ったAさんの話

_MG_1666.jpg

スレイマニヤ市内のバザール ©筆者撮影

ある日、友人がいつものようにオフィスで仕事をしていると、ある男性が杖をつきながらオフィスを訪れたそうです。

アメリカに送る荷物とのことで、管理者である友人のサインが必要であり、スタッフに付き添われてAさんは彼のもとに来ました。

荷物は数枚の紙であり、特にチェックするものもないため手続きはすぐ済んだそうなのですが、念のために友人は何の書類かを聞いたそうです。

そうしたらAさんは「アメリカに移民をするための最後の書類」と答えました。

友人が驚いてAさんの年齢を聞くと、なんと83歳とのこと。

平均寿命が70歳であるイラクで83歳となるとかなりの高齢となります。そして友人がさらに驚いたことは、Aさんがこの歳で移民を決意したという事実でした。

興味をもった友人は、彼の家族のこと、なぜこの歳で移民をすることにしたのかなどを聞きました。

スレイマニヤ郊外の村に暮らすクルド人のAさんには子どもが11人おり、奥さんには10年ほど前に先立たれたそうです。お子さんたちの中で亡くなった人もすでにいますが、何人かは難民や移民として欧米に暮らしています。

Aさんはその内の一人、現在アメリカに暮らす息子さんの家族帯同ビザをもらえることになり、最後の確認の書類を送るところでした。

アメリカで書類の確認がされれば、すぐにでもビザが発給されるだろうとのことです。

83年間、Aさんはイラクから一歩も外に出たことなどありませんでした。

物心のついた1940年代頃からのイラクをずっと見てきました。

イギリスの傀儡として作られた王政時代、その後の共和国時代、サダム・フセインによる独裁とクルド人への迫害、アメリカの侵攻による独裁崩壊と宗派間の内戦、過激派組織ISISの勃興と崩壊など....

そんなAさんがこの歳になって移民を決意をした理由が、「この生まれ育った国に絶望したから」というものでした。

友人が「後悔はないのか」と聞くと、「後悔は全くない。俺はイラクを出てアメリカに移住するんだ!今はすごく幸せだ!」と笑顔で答えたそうです。

Aさんはアメリカで死んで、そこで埋められることを望んでいると話したそうです。

Aさんは83年間、何か政変が起きると「これからはよくなる」と期待をしたそうでしたが、毎回裏切られ続けました。

そして最後に2017年、クルド自治区がイラクからの独立を問う住民投票を実施したもののクルド人内の政党間対立でそれが白紙に戻されると、イラクを出る決意をしたそうです。

これは昨年の話ですので、コロナ禍でAさんの渡航に何か影響が出た可能性はありますが、もし順調に行っていればすでにアメリカに家族と渡り、新しい暮らしを始めていることでしょう。

この話を友人から聞いた際、私は悲しくもあり、Aさんの生きる力に尊敬の念を覚えました。

私が今イラクにいる理由は、少しでもここの人たちの生活をよくするため、と言うこともできます。しかし部族の利権に基づいた政治、汚職、一向によくならない生活など、少なからずイラクの人たちはすでにこの国に絶望をし、どうにかイラクの外で暮らすことができないかを考えています。

事実、この話をしてくれた友人も今カナダにいる親族を頼って奥さんと娘さんと3人で移住することを計画しています。

彼は外資系の企業で働きよい収入もあり、決して生活が苦しい訳ではありません。しかし彼のような社会階層の人であっても、イラクで暮らし続けるという選択肢を見出せなくなっている人が増えているのが今のイラクの現状です。

外の人間である自分は、彼らの選択に対して何かを言う立場にはありません。選択を尊重し、それでもイラクにとどまっている人たちのために働くだけです。

しかし偶然、日本という世界的に裕福な国で生まれることのできた(最近の言葉を使えば「ガチャに当たる」と言えるかもしれません)自分という身の存在を改めて考え直しました。

日本に生まれたというだけで、私は世界191ヵ国に事前のビザ取得なしで渡航をすることができます。イラク人の友人はたったの28ヵ国です(その下は26ヵ国であるアフガニスタンだけです)。改めて生まれた場所が偶然違ったことによる不条理を突き付けられた気がしました。

今年の10月、イラクでは総選挙が予定されています。しかし前回(2018年)の結果から考えるに、投票率はかなり低いものになるでしょう。

「イラクの人たちは自分の国に将来を感じていない」。これはこの友人からのみ聞いた話ではなかったのですが、Aさんとのこのエピソードを聞き、その主張がすごく実感のある話に感じました。

この話を受けての私自身の考えは、このくらいに留めておきたいと思います。

皆さんはこのAさんの決意を聞き、何を感じましたか?

 

Profile

著者プロフィール
牧野アンドレ

イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。

個人ブログ:Co-魂ブログ

Twitter:@andre_makino

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

Ranking

アクセスランキング

Twitter

ツイッター

Facebook

フェイスブック

Topics

お知らせ