コラム

聖火ランナーになって分かったオリンピックの価値

2021年07月17日(土)17時30分

現実的な不安や反対意見があることは否めない。しかし、開催か中止か、仮に僕の判断に任せられたらどうしたのか、正直わからない。秋まで、または来年まで延期するのが一番の正解だったかもしれない。でも秋はアメリカでワールドシリーズやアメフトのシーズン開幕があるからIOC(国際オリンピック委員会)に巨額の放映権料を払っているNBCが嫌がるし、来年は冬季オリンピックがあるから今度はIOCが嫌がる。

今夏の総選挙後の開催は、自分が総理大臣じゃなくなる可能性があるから安倍晋三首相も嫌がった、という報道もある。真相はわからないが、少なくとも、IOCのバッハ会長は延期はないと断言している。中止するなら日本の契約違反となり、弁償する責任も生じ得る。少なくとも、今回の五輪を教訓に、今後は開催国が延期する権利がない五輪契約は2度と結ばれないだろう。

でも、現在の条件下で、中止より開催を選んだ政府の判断はわからなくはない。

僕個人の立場は少しずるいかもしれない。延期はしないと、IOCは決めた。中止はしないと、日本政府は決めた。だから、僕がリレーに参加した時点では「やることが決まったからには、選手を一生懸命応援するしかない」という言い方で逃げられる。ダイエット中の僕が「どうせ家にあるから」と、妻が買ってきたポテチを平らげてしてしまうときにも使う手だ。

大会が閉幕したら、感染者数、重症者数、死亡者数などのデータを見て、開催の判断と運営の方法を検証する日はくる。反省する点もきっと見つかる。コメンテーターとして批判する時期もまた来るかもしれない。でも、今のところ、僕はオリンピックを楽しみたい。スポーツの価値を信じるから。
 
選手にとって、五輪は4年(というか、だいたい10何年以上)もの努力が報われる大チャンス。スターが生まれ、競技自体の知名度を上げてスポーツ全体を盛り上げる絶好の大舞台でもある。でも、やる側だけではなく、観る側にとっても、とても有意義なものだ。白血病を乗り越えて復帰を果たした池江璃花子選手の活躍は闘病中の方にどれほどの勇気を与えることか。

母子家庭で育ち毎日片道3キロを走って小学校に通った男子マラソンケニア代表のキプチョゲ選手の走りは厳しい経済環境に置かれている人々にとってどんなにか希望か。さまざまな身体障碍を抱えながら人間の可能性を見せる全てのパラリンピック選手はあらゆるハンデを乗り越えて挑戦し続ける人々にどれほどのインスピレーションになることか。それは、おそらく僕の想像を超えるほどのものだろう。きれいごと抜きで、アスリートの勇姿に励まし、勇気、元気、希望をもらう人は必ずいる。

そして、その励まし、勇気、元気、希望が今こそ必要ではないか。僕はそんな思いで聖火ランナーを務めさせていただいた。(もちろん、自己満足の部分もあるが。例えば、報道陣に質問されるたびに「みんなに届いてほしい、この光が」のように、コメントを全部、トーチにかけて「倒置法」でしゃべったのも完全なる自己満足。テレビで丸ごとカットだったし。)

初対面で熱いキス

公道を走れなかったのは残念。会場でも「聖火ランナー」とずっと呼ばれていたが「ランナーと言われても走っておらんな~」と、ダジャレを交えつつ少しがっかりした。でも、ここでも発想の転換ができるかもしれないと思った。セレモニーという形になったおかげで、ほかのランナーと同じ場所に集ってじっくりお話が聞けて、逆に得した気がする。

ある女子大学生は、自分のお父さんが生まれた日に、たまたま1964年の東京オリンピックの聖火リレーが病院の外を通ったという。それを見たおばあさんは、生まれたての赤ちゃんの名前に「光」を入れることにした。今回、その「光郎さん」の娘がランナーを務め、3代にわたる夢が叶ったのだ。

リレーを僕につないだ方は、キューバでの事故で昏睡状態になり、目覚めても体が不自由だった。それから10年かけてリハビリに励み、ランナーを務めるためさらに努力して、少し走れるようになった。その話を教えてくれたあと、彼女がトーチを手に僕が待っているところまで10歩歩いてくる姿を見て、目頭が少し熱くなった。

彼女をランナーに推薦し、ガイド役を務めた女性も実は大物。前回の東京五輪の女子バレー代表のメンバーだ。そう!その日、西東京市に東洋の魔女がいたのだ!

そんなメンバーに僕が入ったのは、本当に光栄だ。最終ランナーだった僕がみんなのトーチキスを受け継いだのも感動しきり。これも今回だけの特別な体験かもしれない。考えてみれば、濃厚接触が大好きな僕でも1年以上、他人とハイタッチも握手もしていない。そんななか、初対面のすごい人たちと、燃えるほどの、熱い「キス」を交わしたことになる。

今回のオリンピックも国民に同じような感動を与えてほしい。外食も海外旅行も濃厚接触もなかなかできない状況だが、日本と世界のすごい人々に出会える。感染拡大の不安もあるかもしれないが、直に見てみればきっと世界最高峰の競技が琴線に触れるだろう。感染より琴線!......というポスターもやめておこう。

プロフィール

パックン(パトリック・ハーラン)

1970年11月14日生まれ。コロラド州出身。ハーバード大学を卒業したあと来日。1997年、吉田眞とパックンマックンを結成。日米コンビならではのネタで人気を博し、その後、情報番組「ジャスト」、「英語でしゃべらナイト」(NHK)で一躍有名に。「世界番付」(日本テレビ)、「未来世紀ジパング」(テレビ東京)などにレギュラー出演。教育、情報番組などに出演中。2012年から東京工業大学非常勤講師に就任し「コミュニケーションと国際関係」を教えている。その講義をまとめた『ツカむ!話術』(角川新書)のほか、著書多数。近著に『パックン式 お金の育て方』(朝日新聞出版)。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ウクライナ中部にロシアミサイル攻撃、8人死亡 重要

ワールド

パキスタンで日本人乗った車に自爆攻撃、全員無事 警

ビジネス

英小売売上高、3月は前月比横ばい インフレ鈍化でも

ビジネス

日産、24年3月期業績予想を下方修正 中国低迷など
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離れ」外貨準備のうち、金が約4%を占める

  • 3

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の衝撃...米女優の過激衣装に「冗談でもあり得ない」と怒りの声

  • 4

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 5

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 6

    中ロ「無限の協力関係」のウラで、中国の密かな侵略…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 9

    「イスラエルに300発撃って戦果はほぼゼロ」をイラン…

  • 10

    日本の護衛艦「かが」空母化は「本来の役割を変える…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 4

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 5

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 9

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 10

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story